平凡学徒備忘録

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経済学をざっくりまとめてみる~自由経済の限界と新分野~

前回は貨幣の機能と、市場での自由取引がどのように効率的な配分を達成するかについて考えた。

 

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確かにそれらのメカニズムは競争原理による商品の高品質低価格化を実現するし、最適配分を達成すると考えられており、経済体制の標準になっている。物々交換や配給のみによって経済全体を支えている国はないし、かつてソ連が計画経済という政府主導の生産、分配を行おうとしたが、結果1991年に崩壊してしまった。

と経済体制の標準である市場メカニズムだが、これも残念ながら万能ではなく、必要なものが生産されず、経済活動がうまくいかないこともある。そして、市場の限界について人々が気づき、それをきっかけに新たな経済学の分野が誕生した。

 

まず、アメリカの中古車市場には多くの粗悪品が出回っているという指摘から始まった情報の経済学という分野だ。それまでの常識で言えば、市場競争の結果粗悪品は売れないので市場から消え、質の良い低価格な商品が残るはずである。にも関わらず実際には粗悪品ばかり残る逆淘汰という現象が起きてしまった。

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経済学をざっくりとまとめてみる~市場と経済学の誕生~

経済学というものについていくつか記事を書いてきたが、一口に経済学といってもその分野、内容は多種多様である。経済学という名前を冠している以上、何かしらの形で経済、つまり財、サービスの生産、ならびに交換といった行動について分析するものなのだが、発想や分析手法は異なる。

そもそも、分析対象である経済とは何なのか。経済というのは一言で表せばモノの分配ネットワークだ。商品を売買するという形で財、サービスが必要な人のもとに届けられることを経済活動というし、経済が活発になるというのはそれらのやり取りが多くなり、欲しいと思う人がそれを得られるようになるという状況である。

経済学の目的はそれらモノのやり取りを通じて社会全体の満足度、効用を最大化することである。なので、資源の効率的配分というのがいつも問題になる。財、サービスがあちこちに移動した結果、皆がそれぞれに望むものを手に入れられた。これが効率的ということだ。例えばある人にとって余分なモノでも、誰かがそれを欲しているかも知れない。ならば欲している人に届けられたほうが、社会全体で見たときの効用は大きくなる。

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何故障害者は吹っ掛けられるのか~構造的に問題を考える~

先日、自分の高校訪れる機会があった。そこで生徒に小論文指導している恩師にあったのだが、その際に彼が言っていた「問題は構造的に考えないとダメだ」という言葉がやけに印象深かった。というのも、「問題を発生させる構造を無視すると、すぐに〇〇を排除しろとか対症療法的な対応しかできず、問題が解決しないからだ」ということだ。

例えば差別といった問題はいささか個人に原因を求めがちである印象を受ける。「〇〇は差別主義者だ、だから首にしろ」とか「××はレイシストだ、解任しろ」とか。しかし実際には、差別にも感情的なものと経済的合理性に基づくものがあり、後者については個人攻撃だけでは問題が解消しない。

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何故経済学は役に立たないか~その発展分野と課題~

経済学は役に立たないといわれる。これは経済学に限らず文系学問全般がさらされる批判である。前に文学が何の役に立つのかについての阪大学長の考えが話題になった

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この手の文系学問批判は長らく続いており、何回かこのブログでも取り上げてきた。

この「役に立たない」というのは「検証性が低い」「再現性が低い」「そのものは物質的には何ももたらさない」など色んな意味が含まれている。

逆に物理学、生物学などの自然科学はこれらの点を満たしてる。実験結果の計測はハッキリするし、実験を繰り返せるので再現性が担保されており、そして考察対象が物質的に存在しており、物質的に豊かさをもたらす。

さて、これらの意味で何故、経済学は役に立たないのか。

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No cash on the table~詐欺と先行者利益~

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No cash on the table(テーブルの上に現金はない)とは、経済学の主な主張のひとつであり、「テーブルの上に現金があるなら、誰かがそれをくすねるはずだ。だから手付かずの現金などあるはずはない」という意味である。

経済学のジョークにもこんなのがある。経済学者と一人の学生が道を歩いていた。そして学生がお札が道端に落ちているのに気がついたが、経済学者はそれを素通りした。

学生が「拾わないんですか?経済学では個人は自分の利益を最大化するんでしょう?」と尋ねると、経済学者はこう答えた。「本物のお札なんて落ちているはずがない。落ちていたら誰かがとっくに拾っているはずだ」

この経済学者の主張は半分正しく、半分間違っている。

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何故自販機とセブンでコーヒーの値段が違うのか?~価格競争と一律価格~

先日、品川駅で電車待ちをしていたときのことである。

その日は雨の影響で電車が遅延しており、フォームに着いてから少し時間があった。その間手持ち無沙汰で過ごすのも何となく気が引け、不意に缶ボトルコーヒーが飲みたくなったので、自販機に向かった。

その時気づいたのだが、自販機で売られているコーヒーの値段は、駅以外の場所で見かける自販機のよりも高く設定されている。理由は簡単だ。高く値段をつけても売れるからだ。電車待ちをしている間にコーヒーが飲みたくなった場合、外のほうが安いからとわざわざ一旦改札を出て買いにいく人はあまりいない。つまり、実際には地理的条件があるからこそ、強気な価格設定ができるということである。

レゴランドで食べ物、飲み物がかなり高く売られていたのも、外部から持ち込み禁止にしており、喉が渇いた場合、ランド内で買わざるを得ない状況にしていたからである。映画館でコーラが500円で売っているのも同じ理由である。外のコンビニの方が安いからと、チケット買ったあとに外で飲み物を買う人はあまりいない。

ただ、駅のコーヒーの価格が不思議なのは、全く同じ商品であるにも関わらず、構内に設けられた近くのセブンイレブンと価格が異なっているということにある。

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家の掃除は誰もやりたくない~公共財供給とゲーム理論~

 

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実家で家族と暮らす時、シェアハウスに住む時、決まって問題となるのが掃除や皿洗いといった家事分担の問題だ。掃除をやらないと住居は汚れていき、住んでいる皆が不効用を被る。しかし、できれば皆掃除をしたくない。まず面倒だし、それにやればやるほど良いというわけでもなく、キレイになったら終わりで、それ以上何か得られるわけでもない。多少気後れするものの、誰かが掃除してくれるなら、その人に任せたほうが自分は掃除をしないで済み、かつキレイな環境で過ごせる。だから皆そうしたい。

似たような問題を、経済学でも取り扱う。必ずしも家事であるとは限らず、ゴミ処理問題や、共有地の管理についてなど具体的なケースは様々だが、問題の構図は基本的に一緒である。「効用は得たいが、できるだけコストは払いたくない。そしてあわよくばそれが可能だ」。この状態が問題の構造である。

今回は、このような共有地の管理について、経済学的に数理モデル分析をし、解決策を考えていく。実際家事の問題は大真面目に議論するほどのものでもないかも知れないが、実際にはより大きな問題にも応用できるし、なにより経済学的なアプローチの全体像を示せると思う。

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