平凡学徒備忘録

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効果的な法律について~憲法ってただの紙に書かれた文章だけど...~

headlines.yahoo.co.jp

少し前に、あるLINE役員のツイートが炎上していた。ある会社が株式を募っている様子を見て、否定的なツイートをしたところ、冷笑的だとのリプライが返ってきて、ひと悶着あったところで「憲法ってただの紙に書かれた文章ですよね。。。」とコメントし、これが火種となった。

たまたまTLでこのツイートを見たときに、私は正直当たり前のことだと思ったので、ここまで炎上するとは思っていなかった。こう書くと「お前も法律を軽視するんだな?」みたいに思われるかもしれないが、そうではない。このツイートを見て社会における法の役割について、私の思ったことを交えて考えていく。

 

人は一人では生きていけない。無数の人々が労働し、人間の役に立つものを作り出して今の生活ができた。パンがあるのはそれを作り出した人がいるからだし、またその材料を作り出した人がいたからだ。で、なぜ彼らが労働し、色んなものを作り出したかというと、そもそも自分たちがパンを必要としていたからだし、規模が大きい社会ではパンを生産、流通、交換をすることで利益を得ることが可能になったからだ。つまり、たくさんの人々の利己的な行動の結果、今の物質的に豊かな社会ができた(とはいえ貧困国も存在しているわけだが)。

しかし、労働、生産することが利己的な行動であると言えても、利己的な行動をする人が必ずしも労働、生産するとは限らない。必要なものを自分で作り出したり、労働して得たお金でそれを買ったりするよりも、収奪したほうが自分の利益を大きくできることはある。盗賊などはその典型例だし、今でも詐欺、強盗をはたらく人はいる。しかしそのような行動は倫理的に間違っているし、全員がそのように行動したら北斗の拳に登場するような荒廃した社会になってしまう。

このような行動を制限するのが法、ルールである。つまり、各人が自分の利益のためだけに行動すると社会が発展しないので、禁止事項を設けて最悪の状態を免れようという話である。

ここで、先ほどの炎上ツイートの話になる。このツイートを見て私が思ったのは、「社会の維持にはアンパンを実際に作る人と、作った人が馬鹿をみないためのルール、法が必要だ」ということである。どちらが欠けても社会は安定的に存続しない。というか、どちらかだけが欠けるということはあり得ないのかもしれない。

法はあるが生産物がない社会は存続できない。誰も生存のために必要な食料を確保できないからである。生産物はあるが法がない社会は、自分の生産物が収奪されるリスクがあるため不安定である。私は、例の炎上ツイートは前者を意味していると解釈したので、特に問題だと感じなかった(表現に不快感を得る人は多かっただろうが)。

 

またこのように考えていくと、禁止するだけで人々がその行動をしてしまう背景を考えない法は機能しないことも見えてくる。

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しばらく前にこんな画像がTwitterで波紋を呼んでいたが、まさにそのことを示している。公園での寝泊まりを禁止されていても、家が無ければ公園で寝るしかない。極端な例だが、「年に〇〇円払わなければならない」という法律があったとしても、払うだけのお金がない人はそれを守れないし、いくら人を殺すことを禁止しても、実際自分が殺されそうになる場合には相手を殺すことも考えなくてはならないようなものである(実際そうするかはおいておくとして)。要するに、ある行動をとる以外に他の選択肢がないのである。実情を踏まえないルールは有効な法たりえない。

なので、本当に有効な法を作るためには、まずは現実問題として、禁止行為以外の選択肢が確保されねばならない。公園での寝泊まりを禁じるなら、公園以外で寝泊まりできる環境がなくてはそのルールに意味はない。選択肢も無いのに公園での寝泊まりを強く取り締まろうとすると、衣食住の確保のために万引きをして、わざと刑務所に行こうと判断する人も出てくる。ルールを設けるべき、ある行動が制限されるべきと思ったら、その行動が誰の利益を損ね、それ以外の選択肢が確保されているかを考えなくてはならない。

 

余談だが、今回の炎上のようにある人が失言をした場合、それを聞いて怒りを覚えた人達は失言した相手の話をもう聞かないというような雰囲気を作り、それについて話すことをタブーにしがちである。しかし、その雰囲気が作られると、自由闊達な議論はなされえない。失言をした人の真意は何か、どんな注目すべき論点があるかに目を向けなければ考えは深まらない。勿論その発言で傷ついた人がいるなら謝罪をし、表現を改めるべきだが、それはその議論をタブー化することを正当化する理由にはならない。炎上ツイートとこのツイートで引用した動画を見て、そんなことも感じた。

納得できない意見を封殺するのではなく、そこで感じた違和感をきっかけに議論を展開するような人が増えない限り自由な議論も何もあったものではない。