平凡学徒備忘録

自分が思い付いたことを忘れないために書いていきます。経済学専攻の大学生。

社会科学の役割

このブログでも前回取り上げたが、文系学問不要論はいたるところで起きる。人々の生活を便利にする物理学や情報科学、人々の命を救う薬学、生物学、化学、医学などとは違い、文系学問には実利がない。といった具合に。

確かに、政治学を学んで政治家として大成するとも、経済学を学んでお金持ちになるとも限らない(勿論多少はこれらの知識も必要になるだろうが、金持ちになったことはないのでわからない)。財政が厳しい中、文系学問に割く予算を削ろうという意見が出てくるのもおかしな話ではない。しかし、私は社会について目を向けることが全く無駄であるとは思わない。

 

さて、文系不要論の主な根拠は「学んでも役に立たない、手に職がつくわけでもないし、新しい製品を作れるようになるわけでもない」というものと、「文系学問でやっていることは当たり前のことで、仰々しく学問として名乗るほどのものではない」というものである。

前者については、例えば経済学は社会制度を考えるのに欠かせない視点だし、マーケットデザインや金融など個人単位で実際的に役に立つものもある。

後者については、

というのは、特に社会科学の場合、一見当然に思えることでも、実は間違っていると明らかにされることが多々あるからだ。

 

戦争にチャンスを与えよ (文春新書)

戦争にチャンスを与えよ (文春新書)

 

 この本では、戦略家のエドワードルトワック氏が「戦争こそが平和をもたらし、無責任な停戦はすべきでないし、NGOも介入すべきでない」と説く。

これを聞くと、「何を言ってるんだ。今現在紛争で苦しんでいる人を救って何が悪い。戦争が平和をもたらすなんて、なんて恐ろしいことを言うんだ」と反感を覚える人もいるだろう。しかし、ルトワックの論理はこうだ。「戦争をすれば互いに疲弊し、自然に戦争は解決され、戦闘国間で協定が結ばれ、人々に平和がもたらされる。逆に下手に介入すれば、お互いにまだ戦争で勝てるチャンスが残されるので、戦争をやめようとはしなくなる、無政府状態となり、より戦争が長期化する」と。実際に、NGO組織によって助けられた部族が他の部族への復讐に出かけてしまったという事例も起きている。

このように感情にまかせて行動すると、予期しなかった弊害がもたらされることがある。これは自分の行動がいかなる影響を及ぼし、結果どうなるかについて具体的に考えないために起きる。戦争が長期化することは誰も望まないだろうが、戦争難民を救ったり、戦争に介入し、停戦させることがその望まない結果をもたらすとは予期できないからこういったことが起きる。

社会現象の仕組みを解き明かすのが社会科学である。その仕組みが分かればある行動、現象がどのような結果を社会にもたらすかをある程度考えることができる。だから社会科学は必要なのである。

とはいえ、前回の記事で説明したが、「これこそが望ましい社会だ」とか「こうすれば社会は良くなる」といった考えは、それが正しいかどうかの検証が難しい。

 

usamax2103.hatenadiary.com

 

社会で起こる現象は無数の要因が絡んでいるし、自然科学のように再現性のある実験ができるわけでもないし、社会実験に巻き込まれた人の人生に対しては責任が発生するし、そもそも人は単に一つの原理で動いているわけではない。この判断の難しさがあるから、人は社会についての発言に責任を負わずに結構好き勝手に発言できる。しかし社会を作っていくのはアイディアが必要だし、無責任に放ったアイディアに基づいて社会を作っていったら悲惨な事態に陥ったなんてことにもなりかねない。社会科学はそのアイディアの正しさを検証する手助けにはなるが、実際のところどうなるのかは、誰にも分からない。

ただ、これら社会科学の検証の難しさを克服するのに有効な方法がひとつある。それは、過去どうだったのかを研究すること、すなわち歴史を学ぶことである。人類は数千年の歴史を持っていて、既に様々な試みがなされ、結果まで出ている。これを参考にしない手はない。だからこそ社会を考察する上で史学は大切だ。

社会についていろいろ考えることは誰しも一度くらいはするだろう。それが正しいことも勿論ある。しかし、やはり素人考えでは限界がある(勿論肩書を持っている人の話が常に正しいわけではない)。緻密に論理を重ね、厳密に調査していくと思わぬ結果が分かるといったこともある。加えて、自分の考えが正しいと思いたいものである。その考えを客観的に検証する方法が社会科学である。文系学問は経済価値を生み出さないから無駄であり、廃止すべきであるといった考えは、一見正しそうだが、廃止してみた結果いざ自分の考えを実行してみたら思わぬ惨事をまねくといったことも起きるかもしれない。というわけで、文系廃止論にはやはり賛成できない。