平凡学徒備忘録

自分が思い付いたことを忘れないために書いていきます。経済学専攻の大学生。

何故障害者は吹っ掛けられるのか~構造的に問題を考える~

先日、自分の高校訪れる機会があった。そこで生徒に小論文指導している恩師にあったのだが、その際に彼が言っていた「問題は構造的に考えないとダメだ」という言葉がやけに印象深かった。というのも、「問題を発生させる構造を無視すると、すぐに〇〇を排除しろとか対症療法的な対応しかできず、問題が解決しないからだ」ということだ。

例えば差別といった問題はいささか個人に原因を求めがちである印象を受ける。「〇〇は差別主義者だ、だから首にしろ」とか「××はレイシストだ、解任しろ」とか。しかし実際には、差別にも感情的なものと経済的合理性に基づくものがあり、後者については個人攻撃だけでは問題が解消しない。

 

 

その問題、経済学で解決できます。

その問題、経済学で解決できます。

 

  

この本では、個人の損得勘定に基づいた差別、すなわち経済的差別について取り上げている。例えば、車いすで生活している人が車の修理見積もりに来ると、そうでない人が来た時よりも、見積もり額が高くなる傾向にあるという。障害者に負担を押し付けるとは差別的な話だ。
しかし、これは何もショップ店員が障害者を嫌っているというわけではない。そもそも障害者であろうと顧客を失うことは店にとって損であり、顧客に嫌がらせをするためだけとは考えにくい。

では、何がこの価格の違いを引き起こしているのか。この本では、障害者が車を運転するのは大変だから、他の店に回ることもないだろうという店員の算段によるものであると説明されている。他の店に回ることがなければ、より安いところに頼むこともないので多少ふっかけても気づかれず、いつもより高く売れるというわけだ。単に足元を見ているだけである。
なので、この本では、何も言わない場合とカーショップの店員に「今日中に3件の店を回って見積もってもらうんだ」と伝える実験を行い、両者を比較している。結果は当然のことながら、他の店も回ると伝えたほうが吹っ掛けられることが少なくなった。
というように、その人にとって合理的な理由に基づいて、経済的合理性に基づいて行われる差別もあるということだ。こういった人に対しては、差別を行わせない方策を考える余地がある。先ほどの例でいえば、事前にネットである程度の相場を調べておくことでこういった差別に遭うことを防げる。

他にも、道を尋ねる場合、黒人の方が白人よりも出鱈目を教えられやすい、もしくは無視されてしまう例も取り上げている。これも、道行く人が全員レイシストであるというわけではなく、相手のガラで判断しているという実験結果が出た。スーツを着て身なりを整えた黒人が道を尋ねた場合には、親切に教えられる割合が他の人種と比べても差がなかった。


また、女性への職業上の待遇が男性と比較して悪いことも、差別の例として挙げられる。これには多少感情的な要素も実際にあるのだろうが、それだけじゃなく、経済的合理性に基づいて行われている部分もある。

まず考えられるのは子供ができると仕事との両立ができなくなるので、長期的に携わるメンバーが必要となる仕事は女性に任せづらいというものだ。子育てはパートナーにある程度任せられるかも知れないが、出産はどうしようもない。なので、仕事を休まなければならなくなるし、それを考えると、人事としては役割分担が明確になされている、誰かが少しの間休んでも業務が支障をきたさないようなポストに就けざるを得ない。よって、出産休みも相まって女性の収入は減る。

また、こうなると家族を支えるために男性はより多く働こうとするし、特にその会社内で女性が休暇を取って抜けた場合、それを補う必要が会社の中でも出てくる。なので結果として男性の方が多くの収入を得ることになる。このように男女の賃金が2方向に向かう構造があるために男女の賃金格差は解消できないのだろうと思われる。

というように、問題は構造的に考えないと解消の道筋が立たないということである。なので、カーショップの話を聞いて障害者差別やめろと言ったところでそれはなくならないし、いくら女性を重要ポストに登用するよう推し進めようとしても、それができるのは組織内で分業の仕組みが確立しているとか、経営資源に恵まれた企業のみであろうと思われる。

構造的に考えないことは2つの弊害を引き起こす。一つは問題が解決できないこと、そしてもう一つは問題解決に向けての取り組みが恣意的な個人攻撃の手段に堕することである。

前者については言うまでもない。原因を取り違えている以上、問題は解決しない。また、後者が起きるのは、実際には問題は様々な要素の相互関係の結果生じており、一つの要素のみが問題の原因ということはなかなか無いケースだからである。にも関わらず、原因を一つの要素にのみ求めると、自分にとって目障りな対象を原因と糾弾し、排除することに繋がってしまう。

この恣意的な排除が、一つの価値軸に基づく優劣をもとに異分子を排除することにつながり、「ダメな奴は即排除」みたいな話になる。また、その排除だけで問題を解決したつもりになり、結果同じようなことを繰り返すだけである。いくら異分子を排除したところで、構造が異分子を生み出すことになるので、そのコミュニティが崩壊するまで問題は解決しない。

あまり属人的な原因を求めるのではなく、もっと社会構造的に問題を考え、構造を変えることで問題を解決することが必要だ。