平凡学徒備忘録

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政府機能を考える 第1回~政治システムの欠点~

<目次>

 

衆議院選が近くなってきた。外に出るとあちこちで選挙カーの上で演説をしている声が聞こえてくる。「地域に根差した政策を~」「国民の為の政治を~」などお決まりの言葉が駅前に、住宅街に響き渡る。
そして色んなメディアで、どこの政策はこうだ、どこに投票すべきだ、どこはダメだ、アイツはどうだと選挙について伝えるし、嫌が応にも選挙があちこちで話題に上る。


そしてこの時期によく目にする意見が、「政治が良くなれば社会が良くなる」「国民皆が政治に関心を持ち、選挙に参加すれば世の中は良い方向に変わる」というものだ。勿論参政権は長い歴史の中で獲得された国民の権利だし、自分の望む方向に変えてくれると思う人のために使えるものを使っておくのは合理的だ。少なくとも棄権という手段では自分の望む方向に政治を変えることはできないだろう。

 

しかし、投票率減少などに表れているように、投票システム、並びに政治を意味がないものだと感じている人は多いのではないだろうか。

投票システムの抱える欠陥 

現に今までに何回も選挙は行われてきたが、政治家が掲げた公約が実現して、社会が変わったと実感している人はどのくらいいるのだろうか(もっとも、「実現した」の基準にもよるし、自分の政治観と反する意見を頑なに否定する人もいるので、不毛な議論ではある)。

 

そもそも、投票システムには以下のような構造的欠点を抱えている。

  • 投票の基本原則は多数決であり、自分の意見は、偶然に同じ意見の人が一定数以上いない限りまず反映されない。
  • 必然的に反映させるには同じ意見を持つ人を一定数以上集め(SEALDsみたいに)、その意見に合致する人に全員が投票する必要がある。
  • しかし既に組織票を確立しているところはまだしも、一から結束するのは非常に困難である。しかも組織という権力構造があるので、最悪秘密投票の原則が侵害されかねない(これは恐らくそんなに危惧することではないが、小さいコミュニティ等では起こらないとも言えない)。
  • 多数決である以上、絶対にその意見が反映されない少数派が生じる。

以上はいずれも必要条件であり、どれか一つが欠けても自分の意見が完全に反映されることはない。

自分の意見を反映させたい、でもどうやって? 

自分の意見を反映させる手段が、とても間接的なものしかなく、尚且つバリエーションが少ないという現状がある。皆が自分の意見を反映させるために投票しても、誰かの意見が「半数以上に支持されなかった意見」として切り捨てられる事は、特にトレードオフな問題については、投票原理的に絶対に避けられない。

しかも、アロウの不完全性定理で示されているように、色々な基準を満たしながら全ての人に受け入れられる結果を導くと保証できるシステムは存在しえない。このような現状があるからこそ、政治に参加しても意味がないという考えに至る人が出てくるのだろう。そしてこれらは投票システムの本来的な帰結なので、投票率を改善するだけでは克服できない。

 

勿論、完璧なシステムなど存在しえないので、自分の選好をすべて満たすことは諦め、それでも選挙という形で自分なりに意見を表明し、反映させる努力をすべきだという意見はもっともである。意見を表明しなければ絶対にそれが顧みられることはない。それに、誰かしらの意見は多数決となるので、自分の考える理想は部分的にも反映させるべきだも言える(もっとも、全ての要素が満たされて初めて上手く機能する政策などもあるのかも知れないが)。

 間接民主主義の抱える欠点

今挙げたのは選挙システムの欠点であり、人々が参政することに無力感を覚える原因である。ただ、この無力感は恐らく選挙システムにのみ起因するものではなく、政治、政治家たちへの不信感にも基づいている。全ての政治家たちは本当に無私無欲であり、公益の為に働いているのだと信じている人は多分いない(しかし一方で、自分の支持している政治家はその例外で、本当に国民の為に働いていると信じる気持ちが人にはある)。

そんな政治に対する不信感とは以下のようなものだろう。

  • 自分の選んだ議員が当選したとしても、その人が実際に審議にかけ、法案が可決されねばならない。与党もしくは連立与党が絶対過半数を占めている場合、少数野党の意見が反映されにくい。
  • 政治家が自分の利益のためだけに行動しかねない。権力は腐敗、暴走するのは当たり前である。彼ら/彼女らは自分の利益を守るために不正を行うし、利益の為だけに全体の利益を損なうような事もする。
  • 自分の支持層の為に都合のいい事しか言わないが、それらが実現されることはない。
  • 政治家たちによる不正や権力暴走を監視するためにメディアがあると言われるが、それらも常に印象操作を行っているし、権力に操られているし、同様に腐敗している。

つまり、政治家が自分の利益の為だけに走り、無駄な事やむしろ全体的に不利益になることをしてしまうだろうという不信感がある。だから誰に投票してもおんなじやおんなじや思うてる人が出てきてしまう。議員が自分の期待に沿った政治をしてくれないというのは間接民主制が原理的に抱えてしまう欠点だろう。

例えば、現在筆者はゼミで酒類市場について調べているが、酒類市場には酒税や製造、販売免許制度、各種条例など規制が多く、しかもその多くは市場の失敗の解決にはあまり役立っておらず(むしろ非効率を招いている)、恐らく税収のみが目当てなのだろうと勘ぐらざるを得ない。これはあくまで1つの例ではあるが、探せば他にも似たようなことが起きているのではないかと推測する。

 カネと公平性の問題

財政学で考えられる政党団体の機能に、政党には利益集約、表出機能がある。そして利益を国政に反映させるよう働きかけるには、合法的にも非合法的にも金が要る。よって金のない人たちの利益は、金のある人たちに比べてどうしても反映されにくくなる。だから政治とカネの問題が起こるし、政治家の支持基盤となり得ない人々の意見は反映されにくい。それに、先ほど触れた自分の支持している政治家を信頼したい気持ちなどによって、政治家にシビアな評価がなされない場合には、政治家が支持基盤の利益より自分の利益のみを優先させることも起こりうる。

もっとも、資金規模の大きさは、その提供者が左右される利益の大きさ、重要性を多少なりとも反映しており、だから優先されるべきだという考え方もできる。ディズニーランドのファストパスや、イベントのVIP席、混雑税などと同じ考え方である。この資金力に裏付けられた重要性と公平性にまつわる問題は、かつて話題になったマイケルサンデル教授のこの本で取り上げられているので読まれたし。

 

 

外交、経済成長、社会保障など、いつの時代も問題になる。岡田准一主演のドラマ&映画「SP」で主人公の上司、尾形が「この国のトップの首がすげ変わっても何も変わらない」みたいなことを言っていたが、その感覚に共感する人も少なくないのではと思う。

トレードオフを抜け出す方法

要するに、選挙ならびに政治システムは様々な点で本質的にトレードオフな関係があり、良いとこ取りや改善を図ることが難しい。だから参政することに意味を感じない人が生じるし、政治への不信感が生まれる。そしてそういった意見、態度に対して、むしろそんなトレードオフが成り立っている中だからこそ自分の望む方向に傾ける必要があり、そのために投票すべきだという反論が出てくる。

 

しかし、そもそもトレードオフが成り立っているという現状をそのままにせず、その枠組みから脱するような試みが続けられていくべきだと思う。

勿論トレードオフの関係を変えるのは定義的に不可能だ。しかし、であるならば、そんなトレードオフの関係が成り立つ領域を狭くするのが、各人の選好を最大限満たし、個人それぞれに最適な社会を実現する試みには重要なのではないか。つまり、ゾーニングのような試みが行われ、それぞれが自分に適したコミュニティに属し、ルールに従うような環境を作る動き、そして同時に、政治の規模をどんどん縮小するのがこれから必要になると思う。

政府が大きくなれば運営資金がより多く必要になるし、となると税金を多くとる必要があり、結果、社会の効用は減少する。加えてそれでも税金で足りない分は国債発行などで補われる。そうすると永久に政府の借金は減らず、財務バランスが取れない。財務改善には、政府の規模縮小が必要条件になると思う。

それに、政府が大きくなるほど国民の生活への権力が強くなる。これは良い方向にも働くこともあるが、同じように悪い方向に働くことがある。

勿論、政府を無くし、全てを自分たちで決めるというような、共産主義、無政府主義的な事を言うつもりはない。国防や司法などどうしても中央政府が担うべきことは残るだろう。しかしそれでも、積極的に中央政府の役割を民間部門で肩代わりし、自治していく動きは必要になると思う。

 

今回はかなり長くなったので、一旦ここで止める。次回は政府はどのような機能を果たし、国民の生活に影響を与えており、それらの機能をどのように政府以外が実現できるかについて述べていこうと思う。

SP野望編、革命編また観たいなあ。