平凡学徒備忘録

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無条件で現金配布、あなたは働きますか? 第2回~救われるべき人、そうでない人?~

 

前回は、ベーシックインカム(BI)のメリットやそれが解決するであろう問題について全体像を述べてきた。まだ読んでいない方はどうぞ。

usamax2103.hatenadiary.com

 

今回は、BIの「現金の無条件配布」という特徴を切り口に、福祉のあり方について述べていく。

「無条件で給付」がカギ?

前回、BIを実際に行ってみた結果について、似たような制度が真逆の結果をもたらしたことに言及した。ロンドンやオランダの実験ではBIによって人は怠惰にならず、むしろ前向きになり、ホームレスが社会的に望ましい生活を送るようになったと示している一方で、BIと似たスピーナムランド制度は人の勤労意欲を削ぎ、社会が荒れるという真逆の結果に終わったのである。

 

Rutger Bregmanはその著書「隷属なき道」にてこの違いに言及し、スピーナムランド制度に関する報告書が以下の点でデタラメであると主張している;

  • 質問が恣意的である
  • 有効回答率が10%程度である
  • 回答者は貴族や地主などに限られており、受益者は回答していない
  • 分析手法が粗雑だ
  • いくつかの報告書は実験の前に書かれている

などなど、報告書についての問題点が指摘されている。

隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働

隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働

 

 

また別の意見では、これは所得に条件を設けてしまったことがこの違いをもたらしたのではないかと指摘されている。個人的には、この所得の「条件付きか否か」というのが政策の成果を分けたというのはあり得る話だと思う。所得水準を設けると、働いて給料を得るより、働けないことをアピールすることで給付を受けるインセンティブが生じやすい。そして水準以上の所得を得るまで働こうとしても、スピーナムランド制度の財源確保の為に以前よりたくさん働かねばならず、社会的不満が高まったことを理由にあげている。

その点BIは、無条件で全員に給付する場合、皆スタートラインが同じであるので、他人よりいい暮らしをするには働かねばならないし、それが個人の所得にマイナスの影響をもたらさない。つまり、働く人が働かない人より低い給与を得るような、スピーナムランド制度のようなことは生じない。

 社会保障と「理想の貧困者」

しかし、この結果を見て「じゃあ無条件給付を行うべきじゃね?」となる人はどのくらいいるだろうか。これでもなお所得水準や身体障碍、精神疾患などの条件付きの社会保障を行うべきだという意見をなかなか変えられないのではないだろうか。

BIが導入されたら、その財源は働く人の生産物であるので、「何であいつら働かない奴らの為に俺らが苦労せにゃならんのだ」という具合に不公平感は絶対に生じる。しかしこれはBIに限らず現在の社会保障制度でも同じことで、それらに対して同じような不公平感を抱く人は多いだろう。それに、BIについてはその納税者も無論受益者なので現在の社会保障より公平である。長谷川豊氏の炎上発言や小田原市のこの事件はそんな意識の表れともいえる。

小田原ジャンパー事件 - Wikipedia

 

社会保障とは、憲法に定められた生存権を根拠として、自分で生活の糧を築けない人に対して行われるものだ。しかし、その援助というものはどこかから湧いて出たものではなく、誰かが頑張って作った生産物が分け与えられたものである。だから負担者にしてみれば援助に値する人にのみ分け与えたいと思うのが普通の心理だろう。

しかし、その「援助に値する人」とそうでない人の線引きというのが、社会保障の負担者のみならず援助を受ける人によって異なるのが問題である。つまり「完璧な基準」など存在しえないのである。しかし、時代やその人によって必要な生活環境が異なるのは当たり前であるにも関わらず、人は自分の体験にのみ基づいてモノを判断し、語り、自分と異なる価値観を無視しがちである。

 

例えば今のご時世、生活インフラを整え、頼れる仲間や人と関係を構築し、働き口を見つけマトモな生活を送るのに、スマホやネット環境無しではかなり厳しい。つまり、ライフライン確保の為に、そして生活をより向上させるのにデジタルインフラは不可欠なのだ。にも関わらず「スマホを持つなんて贅沢だ、おこがましい」という認識が、特にデジタル環境に触れてこなかった人や、世代では広く共有されがちである。

このように、「支援に値する人、しない人」という線引きを行おうとすると、その裏にどうしても「あるべき貧困者の姿」というものが存在してしまう。しかし実像を正確に反映したイメージなど持てるはずもなく、そこにはバイアスや自分が常識と思い込んでいるもの、自分の好みや価値観が入り込んでしまう。だからそれぞれの持つ生活困窮者のイメージと実像のズレ、そこから生じるバッシングや弱者の切り捨てという新たな生きづらさが発生してしまう。

withnews.jp

 貧困は知能を13ポイントも下げる

しかし、それでもやはり貧困層に陥るのには少なからず本人の責任があり、だからどこかで線引きを行う必要があると主張する人がいるだろう。また、周知が及んでいないだけで現在の社会保障で十分だろうと考える人がいるだろう。実際、貧困に陥るのはなるべくしてなった側面があるのは事実だ。

ただこれに対しては、貧困が知能を低下させるという事実を示したい。「隷属なき道」でも紹介されていたこの研究では、貧困は知能を13ポイント低下させ、これは一晩眠れないことやアルコール依存症と同じぐらいの悪影響であると示している。

www.princeton.edu

貧困層は常に家計のやりくりに多くのエネルギーや時間を費やさねばならない。「どう費用を切り詰めるか」「どんな理由で返済期限を伸ばしてもらおうか」「どのくらい働かねばならないか」など考えることは山積みだし、そうでなくとも自分が生活に困窮していることで相当のストレスを受けている。

 

このような状態で、さらに支援を受けるには、申請資格の確認、必要書類の確認、調達、記入、そして相談...など膨大な作業をこなさねばならないとしたらどうだろう。どんなに効果的に思えるプログラムであり、多くに周知されても、申請へのハードルの高さゆえ、諦めてしまうことが多いのではないか。

どんな健康で活力溢れる状態であっても、書類の山に追われればかなりのエネルギーを失う。Bregmanの喩えを借りれば、それは「新型の高性能PCでも10個の重いプログラムを並列処理させれば壊れるようなもの」だ。いずれエラーを起こし、フリーズしてしまう。ましてや旧型のPCにそれがこなせるはずがない。いくら優れた支援プログラムを用意しても、ストレスと貧困の連鎖から抜け出すのは容易ではないのだ。

 

また、貧困から抜け出せないのはストレスだけでなく、環境によって周りの人間と良好な関係を築けていないことも影響している。家庭不和が貧困状態を産み出し、そこで育った子どもがさらに周囲の人間と上手くいかず、結果頼れる人が誰もいなくなってしまうというのは往々にして起こり得ることだ。生まれ育った環境や家族、親族、知人からの嫌がらせで必要な書類が手に入らないなどあり得ない話ではない。こういった人たちが貧困から抜けるのに、従来の複雑なシステムは足枷になりかねない

シンプルな社会保障政策は行政サイドにメリットがあるだけでなく、勿論支援される側にもメリットがある。現行の社会保障制度の大半は、応募資格の確認、相談、必要書類の調達、申請など、かなり煩雑な手続きをこなさねば受けることができないものである。

 シンプルな設計、厳密な検証

働かざる者食うべからずというドグマ、貧困者は怠惰であるためお金を与えてはならないという思い込み、複雑怪奇で多大な行政コストを必要とするプログラム。これらを一度脇において、新たな貧困との戦い方を模索すべき時ではないだろうか。色んな実験がBIの有効性を示している。一度あらゆる思い込みを捨て、シンプルに物事を進めていく方法を模索しよう。

現実社会は複雑だ。でもこの事実は、「だから複雑な発想に基づく政策でなければならない、シンプルな制度ではダメだ」ということを必ずしも意味しない。発想や内容それ自体はなるべくシンプルであるべきだ。ただ、具体的なプランに落としこむときに、人間の複雑さを考慮し、細かくつぶさに検証する必要があるというだけだ。今考慮すべきは政策の発想、内容という抽象的な部分ではなく、実現に向けた具体的な部分なのだ。問題を一気に解決できる魔法の弾丸のような発想、考え方の登場を待ち望むのを一旦止め、今ある発想のなかで試していないもの、試すまでもないと切り捨てたものに目を向け、政策を進めるべきである。

 

そのためには実証実験が不可欠だ。貧困問題は、理論を語るだけで解決できるようなものじゃない。政府によって色んな貧困政策が行われてきたが、それらは現実を捉えきれていないし恣意的で政治的だって何十年も言われ続けている。政府だけでなく民間団体やNPONGO法人などもそれぞれの考えに基づいて活動を行っているが、何ら実証的根拠に基づくことなく行われているものもたくさんある。勿論正確な予想やデータを待つ前に動き出す必要はある。しかし、どこかのタイミングで見直しを行う必要もある。

 

次回は、BIの実現に向けて議論されるべき点や、そもそもの政府のありかたについて書いていく。