平凡学徒備忘録

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専門的な勉強と問題解決

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最近色々あり、自分は何を勉強すべきかとか、専攻として学んだ知識をどう活かせるかといったことについてあれこれ見直すようになった。そういったことを考えていく中で、勉強という行為についてある程度まとまった考えが整理できたので、今回はそれを書き記していく。

ゴールデンウィークというのは、大半の学生にとって新しい環境での勉強に身が入らなくなり、勉強意欲が下がりまくる期間でもある。そんな中でも、この記事をきっかけに自分の勉強を省みて、少しでも意欲が留まれば幸いである。

 

勉強の目的は人によって趣味だったり実用だったり色々あるだろうが、今回は問題解決の手段を得るために勉強するという、実用を目指すケースについてのみ言及する。さて、そういった勉強を効率よく進めるにあたって、そもそも問題解決というプロセスがどう進むかについて整理したい。

 

当然の話だが、問題解決と言ってもまずは対象となる問題を分析しなければ、対策を考案することはできない。問題文をよく読まずに勘で式を立てても手詰まりを起こすのと同じだ。解決策を考案する前、すなわち問題分析の段階では、まずそもそも何が問題であるのかという問題設定や、それがどのような過程を経て発生するのかを突き止める、原因分析が必要となる。問題解決は、問題設定→原因分析→解決策考案という過程を辿るということになる。

この問題分析や解決策の考案といった段階においては学問ごとに、例えば経済学なら経済学、物理学なら物理学といった具合に、それぞれ特有の分析手法や方法論、議論の進め方がある。そしてこの議論の進め方を理解することなしに、その学問における問題解決の技術を身につけることはできない。

例えば私の専攻である経済学について言えば、問題設定において不可欠な視点となるのは資源配分の効率性と公平性である。各経済主体の自由な行動に任せた結果どちらかの基準が満たされない、経済学で言うところの市場の失敗が起きる場合、その失敗を解決する必要がある。このように経済学の枠組みでは、市場の失敗を引き起こす原因を分析し、それを解消する制度や仕組みを考案することを目的として議論が進められる。問題解決のための専門勉強には、問題設定から解決策の考案までの一連の流れを掴むことが必要だ

 

さて、議論の進め方を理解するのと同時に、専門書や大学の講義で学ぶような具体的な分析手法についても理解しなければならない。その際、大抵の場合考察対象をある程度単純なモデルで記述し、問題の性質を捉えやすくする必要がある。

単純なモデルで記述するとは、「どのような要素を考慮に入れて、何を入れないか」の選択であるとも言える。例えば物理学の問題として、ボールが投げられた際の軌道を数式モデル化する際、空気抵抗まで考慮に入れてしまうと複雑なモデルになってしまう。もし空気抵抗などの変数を扱いたいのであれば、まずは単純なモデルを作るべきだろう。特に入門者は厳密で複雑な議論についていくことはできないのでなおさらである。

そして、モデル化の巧拙は問題設定との適合具合によって決まる。つまり、問題設定によって考慮すべき要素が変わってくるということである。例えば経済学の問題としてある財市場(食料や工業製品、コンテンツなどの有形、無形の商品が取引される市場)の失敗を考える際に、価格と需給量の関係は必ず考慮する必要がある。というのも、市場の失敗というのは外部性や非排除性などといった財の特殊な性質により、価格メカニズムが上手く機能しないことが原因だからである。しかし、金融市場を考えているわけではないので、インフレ率や安全資産の金利といった変数を考える必要は殆どない。別に考えてもいいが、モデルが複雑になるばかりで、それに見合った価値ある知見が得られるとは考えにくい。

人間は、複雑なものを複雑なまま理解することはできない。よって、問題設定を明確にし、ある程度単純なモデルに落とし込まないことには分析を始めることはできない。そして問題を解決するには、明確な問題設定と全体的な議論の流れの把握が不可欠である。つまり、具体的な手法は議論の中での全体的な位置づけを確認しながら学ぶ必要があるということである。

 

さて、以上の議論で、学問ごとの議論の進め方や分析手法といった、専門の勉強で学ぶべき内容を整理してきた。次に、これらの学び方という点について私見を述べていく。

専門的な内容を学ぶにあたって、その習熟度合いを「各手法の発想を理解できる」レベルと「学んだ手法を用いて現実問題に応用できる」レベルという2つに分ける。ここでいう発想という単語は、求めたいものを導き出す手順やアプローチという意味合いで使っている。例えば、農学の問題として、ある肥料が植物を元気に育てるのに効果的かどうかを判断したいとしよう。この問題に結論を導くにはどのように考えていけばいいか。色々あるとは思うが、対照実験という発想を持ち込めば、「肥料を与えるグループと与えないグループに分け、2グループ間の葉っぱの平均的な大きさなどのデータに差があるかを調べる」というアプローチが採れる。

2つのグループの平均値の差を調べる際、たとえ肥料に全く効果がないとしても、2つの値が完全に一致するとは考えにくい。となると、ズレがあるというだけでは肥料の効果を測ることはできない。そのズレがたまたまなのか、そもそも本質的に差があるかどうかを判断するための基準を導く必要がある。

それを導くために、統計学では「命題の対偶を調べる」という発想に基づいて調査を行う。今回の例でいえば、「2つの間に差がないならば、検定統計量tはある基準値以下である」という形で帰無仮説を設定し、その対偶である「t値が基準以下でないならば、差がないわけではない。つまり有意な差がある」という命題について、データを用いて検証するというアプローチを採用しているわけである。

大抵どの入門書も、まずは込み入った議論を避け、例示や比喩などを用いて読者が発想を理解できるよう説明がなされている。大学の入門講義でも、まずは発想の理解に重点を置いているはずである(たまにいきなり専門的な話をする先生もいるが)。なので分析手法を勉強したい時には、その手法がどんな発想に基づいているかということを理解し、具体的な手順や用いられる数式を、そのアプローチと対応させながら理解を深めるとよいだろう。ちなみに仮説検定を始めとした実証分析手法は、発想の理解が結構難しい。検定統計量の発想がまず理解できずに苦しんだ経験は、定量分析をかじったことのある人なら一度はあると思う。

 

手法の発想の理解ができたら、次は学んだ手法の応用である。要するにこれは、問題設定や議論の流れを把握し、それぞれの論点の役割や目的に応じて必要な作業や適切な手法の選択ができ、ある程度自分なりに答えが出せるということである。

応用レベルまで到達するのには相当の鍛錬を要するだろうが、自分が何を苦手としているのかを把握することで、多少は効率よく勉強を進めることができる。例えばワークブックや練習問題を解くことができなければ手法の発想の理解が甘いのだろうし、思うように議論がまとまらない場合は、議論全体の流れを理解できていないことが想定される。卒論で手詰まりを起こしている人は、自分の理解のどこが甘いのかについて検討してみたらどうだろうか

 

今回は問題解決のための勉強というテーマで議論を進めてきた。ただ、何らかの理由で勉強しようという際、大抵の人は書店のビジネスコーナーなどで立ち読みをし、「こういった理解が標準的である」「こういった効果が指摘されている」といった知識のみを集めがちではないだろうか。

しかし、学問は何かしら工学的な利用を目的として進められている。「その主張や効果はどういった方法でその効果は確かめられたか」や「その主張が成り立つ条件は何か」などといった論点についても考慮しないと、専門性の獲得には至らない。精々雑学王止まりである。あるいは、ある研究成果を過大・過少評価しすぎて何の役にも立たないといったこともあり得る。

また、学問は日々進歩している。例えば2017年のノーベル経済学賞行動経済学の分野であったが、これが既存の経済学と比べて何が新しいのか、応用としてどのように問題解決ができるか、といった点について正しく理解するのには、そもそもミクロ経済学の問題意識や方法論への理解が不可欠だ。またそういった点について理解できると、巷に溢れる行動経済学にまつわる言説の真偽が分かるし、正しい使い方も身につくだろう。