平凡学徒備忘録

Know your enemy with warm heart and cool head.

「○○学って役に立つんすか?」に対抗するために、「○○学って役に立つんすか?」って考えてみよう

ようやく卒論提出と就活が終わりまして、時間に余裕ができたのでかなり久しぶりの投稿です。就活とか卒論やっていく中で思ったことも色々あるので、それもそのうち記事にしようと思います。

 

さて、今回言いたいことは全部タイトルにある通りです。Twitterでは学問の軽視に対して対抗する風潮がまだありますが、その外ではそうでもないようでして。「ふん!○○学っていうのかい?贅沢な名前だねえ」「○○学部なんて要らないんだから潰してしまえ、もっと実学を教育すべき」なんておっしゃる方がいても驚く人はいないでしょう。まあこれは極端だとしても、「金にならない学問なんて大学でやらずに、個人で研究してりゃいいんだ」くらいに考えている人は大勢いることでしょう。

 

そういう心無い意見に憤慨する気持ちはよく分かりますし、嘆きたい気持ちもよく分かります。とはいえ、こういう疑問を持つ人がいるのも分かるんですよね。自分の理解できないものの価値は分からないですしね。だからこそ、常々「○○学にはどういう価値があるのか?」を考え、発信していくことって重要だと思うんですよ。

 

○○学の価値を考えるって、要するにある研究で得られた知見をどう社会に還元するかを考えるわけで、これって論文書く際に、問題意識とか、研究の意義、先行研究批判という形で学問やってる皆さん考えていることでしょう。勿論、それをそのままの形で伝えて納得してくれるのは、○○学に理解のある人間だけです。それ以外の人間には何のこっちゃ分からないでしょう。なので、研究レベルでの問題意識を皮切りに、学問全体の価値を考えていくといいのではないでしょうか。

で、考えていくと結構それなりに理解できるレベル感で価値って示せると思うのですよ。少なくとも社会という単位で言えば、役に立たないものを見つける方が難しいでしょう。

 

例えば歴史学は「○○学役に立たない説」をよくぶつけられる典型例ですが、歴史学は人類の試行錯誤の結果を振り返る営みなわけで、失敗例から学べるものは数多いわけです。特に経済学の人間からすると、経済学はなかなか実証が難しいものですから、過去の事例で理論を検証するのが一番いいわけですよ。その時に予め史料が揃っているとスムーズに研究ができます。そしてこれは経済学に限った話ではないでしょう。

また、過去の事実は簡単にねじ曲がって伝わってしまうわけです。只今ギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理」を読んでいるのですが、その第1篇第2章第2節にて、歴史的事実がいかに簡単に間違って伝わるかが書いてあります。

群衆心理 (講談社学術文庫)

群衆心理 (講談社学術文庫)

 

歴史上の事実を洗い出すのは相当な訓練と批判的思考、方法論への理解が必要なのです。だから誰でも研究できるわけではないし、学会みたいな正確さを担保するシステムが必要になるわけです。素人の珍説じゃ太刀打ちできません。てなわけで専門の訓練機関や研究環境は必要だし、国が金を出す必要があるワケです。

 

今は社会という単位の話をしましたが「○○学は個人にとっても価値がある」「××するなら○○学をやるべき」という個人レベルの話になると、状況によりけりなので何とも言いにくいです。ただ、まずは大きな単位での学問の価値を考えると、個人単位でもある程度理由は作れると思います。それが作れれば「あなたの専攻は当社で働くにあたってどう関係がありますか?」みたいな質問にも答えられるでしょう。歴史学の例で、研究にあたって専門的な訓練が必要だって話をしましたが、学問の知識そのものよりも、そこで学んだ方法論とか思考法みたいなのをアピールポイントにすると作りやすいんじゃないですかね。

Wikipediaの「学問の一覧」というページを見ると(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%95%8F%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7)学問が31個に分類されているわけですが、それぞれに社会への還元の仕方があるでしょう。僕自身、それぞれの価値を是非とも知りたいです。

 

残念ながら常にプレゼンスを示し続けていかないと誰も見向きもしてくれないのが世の常で、学問も例外ではないわけです。そして、どうしたって詳しくない人にそれを分かってもらう必要ってあるんですよね(まあ、自分の凝り固まった考えに固執して、理解する気なんて更々ない人もいるでしょうが)。特に、学問に理解のない人が政府の中枢に来てしまうような国ならなおさらでしょう。そういう現状を嘆くのは簡単ですが、嘆いて嘲笑しているだけでは何の意味もないわけです。だから常に価値を考え続け、「愚問だ」と一笑に付したくなるような気持ちを押さえ、発信していく必要があると思います。

そして、この「○○学はどう役立つか」を考え続けることには、誰々を納得させなければならないという消極的な意味だけではなく、「この知見をどう活かせるかな?」と考える積極的で建設的な意味も持つでしょう。決して無駄ではないはずです。

 

さて、内容がある程度まとまったのでここで一区切りつけますが、記事を書いている途中で色々書きたいことが出てきました。例えば「『○○なんて要らない』という主張に覚える憤り」「自分は大学5年間で、学問についてどう理解が変化してきたか」「学問の専門性と教育」等々。これらのテーマについて、次回以降ボチボチ書いていこうと思います。それでは。