平凡学徒備忘録

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モデルを用いて考える、ということ~モデルの使い方と注意点~

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経済学でやることとは、経済現象の説明であり、これがすなわち経済分析である。分析というのは、数理モデルを使わずには行えないわけであり、経済学についての本をめくれば、何度も数式やグラフによる解説が出てくる。

さて、本ブログで度々嘆いているが、このモデルを使って考えるということについて、経済学はよく批判される。「こんな数式やグラフを使っても、議論が複雑になるだけだ」「現実は複雑なわけで、単純化したモデルに意味はない」「人間は合理的でないし、仮定が非現実的だ」などといったものである。そして、これまた残念なことに、こういった主張、疑問について正面から向き合って説明がされるようなことは少ないと言っていいだろう。

そのため、本ブログではこういった批判に対して度々反論を述べた。

 

複雑な現象を単純なモデルに落とし込むのでは現実を捉えきれていない、人間は合理的であるというような非現実的な仮定を置くな、といった批判は、物理学者に空気抵抗を無視するな、摩擦を無視するな、と言っているようなものである。勿論、投げられたボールの軌道の正確な位置を予測したいのであれば、空気抵抗を考慮したモデルといったものを立てる必要もあるかもしれない。しかし、経済学では必ずしも予測を目的としたモデルが作られるわけではない。このことは、もう一つの批判への反論を見ていくとわかる。

人間の合理性という観点からの経済学批判だが、そもそも経済学で使われる「合理的」という単語の意味をはき違えている可能性がある。日常生活でこの単語を使う際は、「計算高い」や「効率的」、ともすれば「利己的」のような意味合いで使われることがあるが、経済学のモデルでは、「整合的」「説明的」のような意味合いで用いられている。そもそもモデルの役割とは、現象を説明することにある。例えばGeorge Akerlof は「中古車市場で悪質な品が高く流通する」という現象に対し、情報の非対称性という観点から説明するモデルを組み立て、ノーベル経済学賞を受賞した。このように、経済学のモデルは「一貫性をもって現象を説明できる」点に価値があるため、モデルへの批判をするなら、「このモデルが正しいなら〇〇となるはずだが、現実はそうなっていない」という、説明力の欠如を指摘するものこそ説得力があり、傾聴に値するだろう。

また、「もし人間は経済合理的ではなく、感情や正義感などにも左右される」という事実を挙げて経済学のモデルを批判するならば、それを考慮したモデルを作ってみればよいだけの話である。事実、経済学では社会的厚生の捉え方の違いから、異なる関数を用いることがある。個々人の効用を単純に足し合わせたものが社会的厚生であると考えればベンサム型厚生関数を使うし、公平さを考えるならば、一番低い効用を持つ人の効用が社会的厚生だとみなすロールズ型厚生関数を用いればよい。

このように、説明したいことや、対象となる経済状態に合わせて、モデルは改良できる。もし人間は公平さにも反応するというなら、そのように行動することを示すモデルを作ればよい。捉え方や議論の進め方、対象へのアプローチによって選択すべきモデルも異なってくるわけであり、唯一絶対の、どんな時でも使えるモデルを作ることは経済学の目的ではないし、そもそも経済が複雑なものである以上、その試みは不可能に近いだろう。モデルの役割はあくまで、対象となる現象について論理的に説明することにある。よって、現象に合わせてどういった要素を考慮し、また考慮しないかを考える必要がある

 

さて、経済学におけるモデルの役割について述べた。ただ、実際にモデルを用いて色々分析を行う際に気をつけねばならないことがある。それは、現実には観察不可能なデータや事実があり、またデータがあったところでどうにも結論がつきにくい問題があるということである。

法と経済学という分野がある。その名の通り、法律などの規制について経済分析を行う分野である。最近興味を持ってこういった本を借りて読んでみた。

 

ケースからはじめよう 法と経済学―法の隠れた機能を知る

ケースからはじめよう 法と経済学―法の隠れた機能を知る

 

 

この本の第9章「価格戦略は「反競争」的か 独占市場の経済分析」という章では、不当廉売による独占の実例を取り上げて、その判決を経済学の観点から分析している。さて、独占市場では、独占企業が利潤最大化を狙って価格を不当に高くつけることで、厚生が損なわれる蓋然性が高い。このことから、独占=値段が高い状態というイメージを持たれるかも知れないが、価格を不当に下げることも独占禁止法に引っかかることもある。

何故不当廉売を行うかといえば、不当に安く売ることで競争相手を追い込み、独占力を持つためである。例えば本書では、2つのスーパーが牛乳の価格をできるだけ下げまくった結果、近所の牛乳屋の商売が厳しくなった事例を取り上げている。スーパーは色々な商品を扱っているため牛乳を安く売っても収益を保てるが、牛乳屋はその競争に勝てないというわけだ。

さて、このように価格戦略を通じて企業が独占力を持つようになると指摘されているが、ではどのような価格が不当なのかという具体的基準を定めようとなると、厄介な問題が出てくる。限界費用(1単位だけ追加的に生産する際にかかる費用)はモデルの中でこそ扱える数量だが、現実には帳簿に表れてこない。だから、限界費用より低い価格づけによって市場が歪むというモデルから「限界費用より低い価格をつけることを違法とする!」と定めたとして、「では、その限界費用をいかに算定するのか?」という論点が解消されない以上、その政策提言は実効性に欠けることになる(ちなみに、現実には、可変費用や総費用の平均を算出して、価格の正当性を判断基準とするらしい)。

 

これから経済学について勉強していく人には、以上のことを理解した上で勉強していただけたらと思う。勿論、意見や反論があればコメントしてもらいたい。教科書に書いてあることを理解していくだけでなく、一度立ち止まって自分の行っている作業について、俯瞰して見つめてみることも勉強においては重要であると思う。