平凡学徒備忘録

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経済学をざっくりまとめてみる~自由経済の限界と新分野~

前回は貨幣の機能と、市場での自由取引がどのように効率的な配分を達成するかについて考えた。

 

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確かにそれらのメカニズムは競争原理による商品の高品質低価格化を実現するし、最適配分を達成すると考えられており、経済体制の標準になっている。物々交換や配給のみによって経済全体を支えている国はないし、かつてソ連が計画経済という政府主導の生産、分配を行おうとしたが、結果1991年に崩壊してしまった。

と経済体制の標準である市場メカニズムだが、これも残念ながら万能ではなく、必要なものが生産されず、経済活動がうまくいかないこともある。そして、市場の限界について人々が気づき、それをきっかけに新たな経済学の分野が誕生した。

 

まず、アメリカの中古車市場には多くの粗悪品が出回っているという指摘から始まった情報の経済学という分野だ。それまでの常識で言えば、市場競争の結果粗悪品は売れないので市場から消え、質の良い低価格な商品が残るはずである。にも関わらず実際には粗悪品ばかり残る逆淘汰という現象が起きてしまった。

 

これについて、Akalofという人が1970に論文で取り上げ、この現象は情報の非対称性によって発生したのだと指摘した。情報の非対称性とは、一言で表せば経済主体間の情報量の違いである。今回の中古車市場の例で言えば、買い手は中古車を買うにあたって、外見を見るか試し乗りをするくらいでしか質を判断できないので、目に付く中古車についてほとんど情報を持てない。それとは逆に、売り手は長らく乗っていたので、売ろうとしている車の質、走行距離、不具合などについてよくわかっている。車の売り手は買い手の知らない情報を持っているという非対称な状況がここで発生している。

そして情報の非対称性が存在する状況では、良心的な売り手がキチンと車の品質維持のためにお金をかけても購入者はそれが分からないし、品質維持にかかるお金の分だけ、粗悪品を売る人より儲けが減る。よって粗悪品が市場から駆逐されずに残ってしまうということになる。

こうなると、消費者が粗悪品を掴まされることを心配するあまり、質のよい中古車も取引されなくなってしまう。これは、必要とする人がそれを欲しても得ることができない、社会全体の満足度が大きくなっていないという点で経済的に望ましくない。

 入門 ゲーム理論と情報の経済学

入門 ゲーム理論と情報の経済学

また、ゲーム理論という画期的な考え方が開発され、これも「個人の利益追求=皆の利益の最大化」という図式が成り立たないこと、市場経済の限界を示した。ジョン=ナッシュという数学者は競争している企業同士のように、個々人の利益が相反する場合を取り上げ、それについての論文を発表した。映画「A Beautiful Mind」ではバーでの男女の駆け引きからこの発想に至り、論文にまとめた時の様子が描かれている。

ゲーム理論を応用した事例でホールドアップ問題というのがある。これは2者の間で取引が行われた場合、片方が不利な立場に陥ってしまうことを恐れて、上手くいけば社会的に望ましい取引が達成されないという問題を取り扱っている。

例えば、ある車メーカーのA社が、部品製造会社のB社にしか作れないA社製品に特化した部品の生産を行うように持ちかけたいとする。しかし、B社にしかそれを作れず、B社が作らないとA社に大きな損害が出る場合、A社は足元を見られ、不利な状況に立たされるかもしれない。これを危惧して取引が行われない場合、A社は新商品を作れず、需要があるものが生産、分配されないので社会的に望ましくない。このように、本当は望ましい行動であってもそれが達成されない状況というのも起こりえる。

 

これら情報の経済学やゲーム理論などの考えを取り入れてできたのが契約理論や制度派経済学だ。この分野は、望ましい経済状態を達成するために人々の行動を制限するルールや法律、制度を考えるもので、「市場で個人の行動に任せるのが最も効率的だ」というような考えとは反する。先ほどの例で言えば、売買契約に「不当な値下げを行わない」みたいなルールを盛り込む必要がある。



また、市場に任せては供給されない財、サービスがあることにも人々は気づいた。例えば、道路の整備を個人に任せるのは難しい。道路整備には当然費用が発生するが、道路を通った全員から費用を徴収しようとしても実現し難い。道路は複雑に張り巡らされており、徴収する場所をたくさん設置するのはより大きな負担がかかるからである。それにもし実現したとしても、交通が不便になるので流通が滞り、モノの分配が行われづらくなる。結果、他人が整備するのを待って、その恩恵のみを受け取ろうとする人(フリーライダー)が出てきてしまう。

このように、フリーライダーが発生してしまうような財は公共財と呼ばれ、需要はあっても民間企業では作られず、政府が提供するほかない。このことに気づいて公共財という概念が登場した。これは分野とまではいかないが、経済というネットワークの役割を考えると触れておく必要がある。

 

また、そもそも人は常に合理的に行動するとは限らないという指摘から行動経済学という分野が誕生した。これはそれまでの「人は常に合理的に行動する」という経済学の仮定の一つを緩め、心理学の考え方を活用して経済行動を分析する分野である。これにより、ミクロ経済学の理論と実際の行動のズレというものをある程度解消できるようになった。

例えば、人には利益を得ることより損失を避けることを好む傾向がある。100%の確率で5000円当たるくじAと、50%の確率で15000円を得、50%の確率で5000円を支払わねばならないくじBならどちらを選ぶか考えてみてほしい。数学的にはどちらのくじも同じ価値なので、合理的な人はA、Bどちらも良いと判断するが、実際にはAのほうが好ましく見えるのではないだろうか。

このように、人間の判断にはバイアスや心理的要素が大きく関わっている。この要素を考慮して個人の行動を分析するのが行動経済学だ。これによって、社会的に望ましい行動を仕向けやすくなる。実際にこの本では、行動経済学の手法を用いて不良の学生たちの学業成績を伸ばしたプログラムや、差別、男女格差への経済学的分析について紹介されている。

 

その問題、経済学で解決できます。

その問題、経済学で解決できます。

 

 「財、サービスを生産し、それを欲する人が得て、社会全体の効用を大きくする」というのが経済の役割であり、市場経済に任せるだけの単純な考えではそれが上手くいかない。上手くいかないと分かったからこそ次なる進展が行われる。経済学は様々に分かれているが、このように何か一つの問題意識を持って眺めて見れば、それぞれが繋がり、実際に問題を解決するツールとして経済学が役立つかも知れない。