平凡学徒備忘録

自分が思い付いたことを忘れないために書いていきます。経済学専攻の大学生。

デマに騙されない為に~社会科学の限界~

「ネットを利用するにあたり、情報を正しく判断する能力が必要だ」と学校でも、各種メディアでも言われる。手軽に利用できるネットには正しい情報と同じくらいデマがいっぱいだ。「火傷は温めたほうが良い」なんてニセ科学は横行しているし、生活に関わることだけでなく、政治、経済、社会についての頓珍漢な言説だっていくらでもある。最近大手メディアのWELQがデマを流していたりヘルスケア大学が監修医の人数を偽ったりしていたことが発覚するといったニュースがあり、今までもこういうニュースはあった。しかし残念ながら、こういった事件がいくら報道されようとも、デマやおかしな言説に騙される人はこれからも存在するだろう。

 

とまぁネット、というかどんなメディアでもデマ、馬鹿げた意見はあると思うが、かといって全てが全て嘘という訳でも勿論無い。Twitterでは超絶美味いレシピやライフハックなどについてのとても役立つ情報が転がってたりする。となると、わざわざ有益な情報を見過ごすことになるから全ての情報を信じないのも損である。

さて、ではどのように判断していけばよいのか。一見しただけでおかしいと思えるようなことも信じてしまう人は結構多くいるし、自分だっていつその身になるかわからない。そもそも、真偽を判断することはできるのだろうか

例えば医療のことは医療従事者ならある程度真偽を判定できるだろう。とはいっても医学の中でもいくつか専門分野は分かれているし、全員が全員すべての情報の真偽を区別できるとは限らない。そもそも先ほど挙げた医療メディアたちは、医療について詳しくない人が手軽に専門知識にアクセスできるよう作られたサイトであり、利用者と提供者の間で持っている情報にギャップがある(このギャップを情報の非対称性という)。なので利用者は圧倒的に情報の判断において不利である。

とはいえ我々は義務教育で多少なりとも生物について学ぶし、保健体育の時間でケガの処置について学ぶ。これらの知識から火傷を温めるのが馬鹿げてることは分かる。人間の皮膚組織はタンパク質でできていて、40℃以上の熱が加わると変質し、もとに戻らないことは生物の時間で習う。火傷とは熱を与えられてできる傷であるのに、それを放っておいたり、ましてや更に熱を加えるなど、患部を広げて悪化させる以外何の効果も持たない。

このように、目にした情報を自分の持っている知識と照らし合わせて矛盾が生じないかを考え、そもそも関連させられる知識を持っていない場合には判断を保留することが、デマや頓珍漢な言説を信じない為にまずできることだと思う。火傷を温めることは学校で習った生物の知識から嘘だと分かるが、○○遺伝子の存在が本当かどうかは、その道の人じゃないとわからないだろう(ソース元の論文を挙げられても医学を学んだこと無い人にはあまり意味無いだろうし)。ということで、真偽を判断するのは不可能としておかねばならない。

ただ、自分の持っている知識と矛盾しないから全て正しいかというと無論そうではない。それが間違っていると判断するだけの知識が無いだけかもしれない。加えて、人間は自分の信じたいように判断を歪めてしまうバイアスというはたらきがある。人がニセ科学を信じるのもこれが大きな役割を果たしてる。じゃあバイアスについて学べばいいかというと、今度は「自分はバイアスにかかっていないバイアス」にかかり、騙されることだってある。この本ではそんな認知の歪みについて様々な実験から考察が加えられている。

ずる――?とごまかしの行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ずる――?とごまかしの行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

と、ここまでは主に医学などの自然科学分野のデマへの対処策について述べてきた。 次は、政治や経済などの社会科学について述べる。

社会科学についての主張は、それが本当にデマなのかどうかが、主に2つの理由から判別しづらい。

まずは、考察する対象である人間や、それが作る社会は様々な原理に基づき行動しているからというのが挙げられる。人間は一つの法則から見て間違っているような行動を取らないとも限らないということだ。一方で、自然科学で発見されている法則は当てはまりがとてもよく、物理法則に反した現象は起こらない。例えば、前に最後通喋ゲームについて書いたが

 

usamax2103.hatenadiary.com

 

この例では人は必ずしも経済的利益を優先しないことが紹介されている。経済学の原則は「人は自分の利益を最大化するように行動する」であり、不公平な分配金を受け取らずに利得を0にすることはこれに矛盾する。

もう一つは、自然科学と違って実験による仮説検証が難しいからというのがある。ある政策が効果的であるか本当に判断するには、実際にやってみる他無い。自然科学なら実験してみて仮説との食い違いがあるかは割りとすぐに分かるが、社会実験となると何年もかかる。それにある変化がその政策に起因するものなのかどうかも分からない。加えて、実験が上手くいかず、社会が荒廃したらたまったものではない。このように各仮説の適用力に限界があることと、仮説検証の難しさがあるから、あるアイディアがデマかどうか判断が付きにくいし、だからこそ誰もが憶測でものを語りがちである。

とはいえ、ある程度真偽を判断する方法はある。

さっきも述べたが、社会科学で発見された諸法則には有効性に限界がある。何故なら現実の事象は無数の要因が複雑に絡んでいるからだ。このことは社会科学の研究者なら当然理解している。なので、彼らは「考察対象の変数(要因)のみが変わった場合どうなるかを考える。その他の変数は変わらないものとする」という考え方をし、そのような説明をする。例えば、「消費税をあげた場合経済はよくなるか?」という問題について考える場合、まず考えるのは消費増税による価格の変化と、それに伴う幾つかの変化で、その他の要因は変化しないことを前提としている。現実には消費税が上がったら消費者、企業の経済予測が変わって経済動向に影響を及ぼすし、心理的要因だって影響する。しかしこれらの要因を計測、数値化できない以上、これらは変化しないものとして扱うしかない(消費性向などは計測できるが、あくまで過去のデータからの推測でしかなく、実際どうなるかはブラックボックスである)。

これらの理由から、正しいが部分的にしか役に立たない経済予測が出されることになる。逆に言えば、社会科学はこのような限定的な予測しかできないという事実を踏まえないで、「これさえすれば経済、社会は良くなる!」という主張は基本的に信じるべきではない。そのように言ってる人はそう言わざるを得ない立場にあるか、無知である。

また、ある意見を見て、一見もっとらしそうに見えても、その考えはどんな状況下でなら上手くいくか、それを正しいとして進めるとどこかでおかしな事が起きないかどうか、よくよく展開して考える必要がある。つい先日こんなニュースがあったので

東京新聞:「共謀罪」人権・環境団体も対象、法相認める 参院審議入り:政治(TOKYO Web) このように呟いた。

一見すると正しそうな意見も、裏を返せばそうでもないことはいくらでもある。共謀罪自体の善悪の判断については確証を持って何か言えるわけではないが、この点については間違っているだろと思わざるを得ない。

皆が社会に属し、社会科学は自然科学ほど説明力、応用力のある法則を発見できている訳ではないので、誰しも社会について憶測に基づいて単純に考えがちである。だからこそ注意深く論理を辿って主張を吟味しなければならないと思う。