平凡学徒備忘録

Know your enemy with warm heart and cool head.

不安商法は何故断りづらいのか

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横浜のファミレスで聞いた営業トーク

これはPCを新しく買って、帰りにファミレスで一人、飯を食べていた時の話である。通された席の隣では女子高生数人がワイワイしており、その隣では一人の男が広げたノートパソコンの前に座っていた。灰色の服に黒のチノパンでマスクをし、なんだか大学生のような恰好であった。この男を仮にAと呼ぼう。

さて、腹も空いていたので気にせずリブロースステーキを頬張っていたが、ふと入口の方を見やると、サラリーマンと思われるワイシャツ姿の男が二人入ってきた。ここではBとCとそれぞれ呼ぶ。そして彼らは、その大学生風の男、Aの前に座った。

ワイシャツのうち一人が「初めまして、Bです。」と座っていた男、Aに言ったことから、AとBは初対面なのだろう。

 

ところがその同僚と思われるもう片方のワイシャツ男、Cは既に見知り合いなようで、BのことをAに紹介していた。

さて、ファミレスで初対面の者同士が会食するという状況は、大抵ビジネスの勧誘か、そうでなければデート商法と相場が決まっている(偏見)。加えてBの丁寧な態度に対し、Aの方はタメ口であることから、恐らくCはAの手先であり、「俺の尊敬してる人に会わせてやるから、話だけでも聞いてみないか?」などの文句で気弱そうな同僚のBを誘い出した、といったところであろう。どんな風に勧誘が始まるのだろうと聞き耳を立ててみた。

最初の方は自己紹介や世間話であった。まずは話を聞かせやすくするための雰囲気づくりと、営業トークを始めるにあたってのネタを聞き出したいのであろう。Bがどんな会社で何をやっているのかなどの話を聞き出していた。

そして次に、Aが自分について語り始めた。実家は別に裕福というわけではなく、A自身高卒であり、20歳過ぎるまでフラフラしていたが、色んな人に会うことで、今は年収一千万得ている…というまあよく聞く話である。

そしてある程度話が進んだとき、Aが「悩みとかないの?聞きたいな(ニッコリ)」とBに話を促した。Bは特に具体的な悩みを抱えているというわけではなくこの先仕事でやっていけるのかといったことや、将来への漠然とした不安といった誰しも抱えるようなことを話した。

悩みを聞いたAはこう返した。「でもそれって結局お金がないからだよね。将来不安だよね?実際今人件費下がっているし、AIに仕事奪われるかもしれないし」

はい来た。営業トークの始まりである。Aの話は続く。

「年金って今凄い下がってて、俺も親に泣きつかれてるんだよねー」

「今の政権の方針だと、この先どんどん下がっていくだろうし、俺らの頃にはもらえないかも知れない」

「お金の余裕ある自由な生活と俺の両親みたいなカツカツの暮らし、どっちの人生を送りたい?」

                 こうしてAはBの金銭的不安を煽っていく。Bはそうですね。と同意するのみである。Aのトークはまだまだ続く。

「Bのことは助けてあげたい」

「Bは真面目で将来のことについて考えてるみたいだし、見込ある」

「俺は、俺のビジョンに共感してくれる人と頑張りたい」

                 Bの不安をまず煽っておいて、次にその不安を解決するために俺に付き合えということだろう。Bがまだ首を縦に振らないのをみて、さらにAが不安を煽る。

「ケーキも作れる人間と、ケーキしか作れない人間、どっちになりたい?」

「指示待ち人間は真っ先に切られるよ?」

「アクションは早めに起こさないと機会を逃すよ?」

「会社に縛られた不自由な生活を続けたい?」

「まあ、君がいいと思うならいいんじゃない?でも、僕の考えに反対、反論できる?君は本当にそれでいいの?」

と、Aのトークがひと段落ついたところでBが押し黙ったのをみて、片割れのCは席を離れ、席にはAとBの2人だけとなった。

と、ここまで見届けたところで、帰りの電車もあるし、とばっちりで私もビジネスに巻き込まれてはかなわぬと思い、その場を去った。そのあともAはBに何か図を描いて見せており、恐らく「金に不自由ない自由な人生」「金に困る不自由な生活」と書いた極端な矢印を見せてどっちがいい?とでも聞いていたのだろう。

 

営業トークは何故断れないか

さて、この記事を見ている方にもこういった営業トークを聞いた、もしくは受けたことがある人もいるだろう。あなたはこういった話をされて、「いや、自分はこの手の話には乗らないぞ」と自信を持って言えるだろうか。もしくは言えただろうか。

この手のビジネストークは、厄介なことに結構断りづらいものである。理由はいくつかある。まず、あまり間違っていないということである。で、何故間違っていないかというと、別にAに見識があるからというわけではなく、ただ単に話が曖昧、抽象的だからである。Aが営業トーク中に語ったことは別に特別なことでも何でもなく、誰にでも思いつく話である。少しでも社会に関心のある人なら、中学生にだって思いつく内容である。誰にだって将来のことはわからない。だからこそ何でも言える。そして悲観的なシナリオのほうが、楽観的な話より説得力がある。不安を抱えていない人などいないからである。

また、まず相手にするのが特筆すべきものも特にない凡人であり、しかしながら意識は高い人たちだからだ。加えて、身近な人が尊敬しているというだけの理由でホイホイ付いてくるような隙のある人である。営業の標的に最適である。つまり、一般的、曖昧であるからこそ、この手の話は基本的に反論ができない

人が一般的に抱える、漠然とした将来不安を煽り、このままではダメだと思わせる。ああやっぱり将来不安だよな。確かに年金もらえるかどうか分からないし、特にスキルもない俺なんか仕事も機械に奪われるかも…。こんな気持ちにさせる。

標的がこんな気持ちになったところで、営業側は解決策を示す、つまり売り込みを始める。実際稼いでいる俺の言うことを聞けば、会社に縛られない自由な生活ができるよ、将来のお金の心配をしなくていいよ…と誘う。ここで標的が「いや、でもやっぱり怪しいかも…」と思い始めても。先ほどの不安を煽るだけのことである。君、自力で1千万稼げるの?会社に飼い殺しにされてもいいの?同僚が紹介してくれた厚意をふいにするの?と畳みかける。こうして標的は、Aの話した通り、「今話に乗ることで、金に不自由しない自由な生活を手に入れる」か、「厚意を無下にして惨めな生活をするか」というとても極端な二択のみで考えようとする。その結果、Aのトークに負けて無駄に金を渡すことになる。

 

加えてさらに厄介なことに、この手のトークは断りづらい心理にさせる。まず会話の主導権は相手(この場合は営業かけてる側)にある。マーケティングの標的(今回であればB)は、すごい人の話を聞きに行くという体で連れてこられるし、標的には特に話すネタがあるわけでもないからだ。そもそも既にある程度成功しており、不安も少ない人はこういう場に連れてこられない。

そして営業トーク側はタメ口で話す。自分の優位性を相手に間接的に分からせることで、自分に従わねばならないような、反論しにくい雰囲気を作る。特に今回連れてこられたBは気弱で優しそうな雰囲気であり、強く主張するタイプではないのだろう。これも会話の主導権を握るテクニックだ。また、同僚であるCがいる手前、その尊敬するAに合わせなければメンツが立たない。つまるところ、このファミレスは圧倒的にBに不利な環境なのである

誰にでも当てはまる話で不安を煽り、その不安を打ち消すために自分の商品を買わせるという方法は、古典的なだけあって人間心理に根差しておりなかなか抗いがたいものである。

 高額セミナーが無駄なワケ

ここまで書いたが、「こういうビジネストークは何が問題なの?」「だってさっき間違ってないって書いたじゃん。じゃあいいじゃん。」という声が聞こえてきそうだ。

公平なことを言えば、明確な問題はない。別に違法ではないからだ。ただ、この手の話に乗って相手の言うことを聞いても、お金を払っても、Aが突き付けてきたお金に不自由しない暮らしや望むような結果などというものは得られないだろうとは思う。恐らくAのことを崇め、その話を聞いていても一向に暮らしは良くならないだろうし、むしろ金を払い続けることで暮らし向きは悪くなるだろう。さもなくば更なるカモを連れてくるのみである。

ここからは推測であるが、恐らくAに教えられることは、間違っているわけではないが特に役に立つわけでない、誰でも思いつくような当たり前のことであろう。ここでAの話に乗っても、「一千万を稼ぐマインドセット」とか、「ビジネスについて完璧に分かる50の方法」などの名前がついた、大学の経営学の授業やそこら辺で売っている経営学の本で得られるような知識にも劣る情報商材を買わされるだけである。最初の営業トークと同じような、抽象的、一般的で特に中身のないものである。つまり、当初思い描いていたような生活を手に入れるのに、教えられることはさほど役に立たないだろうということである。そんなことにお金を投じるより、何か具体的な技術を身に着けるのに使ったほうが数億倍マシである

 

さて、こういう話に載って機会損失しないためにはどうすべきか。まずは、標的になりそうな人間にならないことである。ノースキル凡人は大抵標的になる。ただ、すぐスキルが身につくわけではないので、没頭できる何かを持つことであろう。つまり「確かに将来不安はあるが、あなたのビジネス講座は別に受けなくてもいい。あなたのやった方法で稼ぎたくはない。私は今これにハマっていて、これに時間と金を費やすのに忙しいのだ。」と返せる。また、そうやって極めた知識は思わぬところで役立ったりするものである。

加えて、話の正しさ(間違っていないかどうかというとても消極的な意味で)と実際の行動は分けて考えるべきである。この手のビジネスにひっかかる人は真面目というか、相手の言ったことが間違っていなければそれを実行しなければならないと考えがちなのだろうと思うが、別にそんなルールはないので、思いっきり無視して構わないわけである。この手の倫理観や罪悪感など、営業トークというのはこういった感情的なところを突いてくるので注意が必要だ。別に欲しくなければ乗らなければよいわけで、間違っているかいないかなぞ考える必要は全くない。

また、これは話にのらない心がけというよりも、知識への投資というものについてのそもそもの考え方になるが、できるだけ具体的、かつ真偽の判断がしやすい知識を身につけることに投資すべきである。例えばプログラミングの知識は実行結果がすぐに出るし、その効果も具体的である。かつ、間違った知識が入っていると、途端に思ったように動かなくなるので、真偽の判別がつきやすい。抽象的、一般的で曖昧な、どう役立てるべきかよく分からない、かつその恩恵もよく分からない知識に金を使う必要はない。勿論経済の仕組みやルールなどの知識は必要ではあろうが、それならば本を読めばいいだけの話である。高額なセミナーなど金をかける価値はない。

今のご時世、表現の場は増え、そのコストは低くなっているのだから、具体的な知識やスキルを身につけて適切な方法で発信することで、それを必要としている人に届きやすいわけである。そこで仕事なども生まれるかも知れない。例えばのじゃろりおじさんは元コンビニ店員であったが、バーチャル表現が得意でそれを適切な方法で表現した結果、あそこまで上手くいったわけである。別にVRに限った話でなく、ファミレスで勧誘されるような抽象的、一般的な知識でなく、具体的な知識、スキルに対して投資をしようという話である。それに、その知識そのものは結果的に直接の役に立たなくとも、別の知識習得に役立つこともある。

 

抽象的な知識でも、持っていることで役立つことはある。しかし、そういった知識は、既に本などの媒体で既に売り出されているもので、セミナーや個人の情報商材でしか手に入らないといったことはない。知識を売るということは誰しも考えるのだ。本当に将来の生活を良くしようと思うならば、具体的な知識になるべく投資をすべきだ。