お金の奴隷解放宣言はなされるべきか?第1回 廉価の貧困
お笑いコンビ、キングコングの西野さんが、元々2000円の自作の絵本を無料公開することを決めたそうで(http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html)、案の上twitterでは当然賛否両論の合戦状態。
そもそも何故この決断に至ったのかというと、「2000円は高い。自分で買えない」という小学生の意見を見て、「お金を持っている人には見る事ができて、お金を持っていない人は見る事ができない。『なんで、人間が幸せになる為に発明したお金に、支配され、格差が生まれてんの?』」と思い、「お金など介さずとも、昔の田舎の集落のように、物々交換や信頼交換で回るものがあってもおかしくないんじゃないか。」と思い至り、無料公開に至ったそう。
このことに対し
お金の奴隷解放宣言じゃなくてこれは、キンコン西野個人の資本主義経済脱退宣言な気がする
— もなか@Re (@akinokahori) 2017年1月19日
こういう考えの人もいるんだなぁで終われば良い。怖いのは、マリオランをディスる層がイラスト・アニメ界隈にも牙を向けること。そしてコンテンツに金を払わないのが当たり前という風土に繋がること
「金の奴隷解放宣言」は金持つ者の驕りだとは思うが、問題の本質は消費者の「クリエイティブなものに対価を払う」という考えまで奪ってしまう事だと思う。
— 天王寺キツネ 日曜日Z‐12b (@kitsunetennouji) 2017年1月19日
もともとこの国では頭脳労働を軽んじる傾向が強いのに、「タダ」を覚えてしまったら、それはもう「クリエイティブの奴隷宣言」ではないのか。
といった批難がなされる一方で
いやまた西野さん、またすごいこと始めたぞ!
— 角田陽一郎/かくたよういちろう (@kakuichi41) 2017年1月19日
これって金を稼ぐという妄信を、無力化する動きにつながっていく!
お金の奴隷解放宣言。 : キングコング 西野 https://t.co/TVNezlzrUA
といった擁護コメントも見受けられる。
さて、この件について考えたいのは、①無料公開の弊害と②彼の考えるような、お金を介さずに物々交換や信頼交換で財、サービスが回る社会が実現したらどうなるか?ということである。
今回はまず①について考えてみる。
2017年1月19日現在の日本では、正当な理由なく商品をその供給費用より安すぎる価格で販売する不当廉売(ダンピング)ことを独占禁止法第2条第9項3号で禁止している。つまり安すぎる価格をつけるのは罪なのである。商品が安いのは喜ばしいと思われるのに、なぜか。この理由を、今回の絵本市場に置き換えて説明してみる。
今、絵本市場でN社が絵本を無料供給しているとしよう。当然絵本は無料で作れないので(チラシの裏に描いた絵だって紙代、鉛筆代を誰かが負担せねばならない)、どうにかしてその費用を賄わなければならない。これについては富豪であるN社社長のポケットマネーから払われるとした。
こうされると、困るのは他の絵本会社である。仮にA社としておこう。いくら企業努力によって絵本を安く高品質で売ろうとしても、0円という対抗馬がいる以上自社の絵本はなかなか売れない。
もし目の前に大体同じくらい面白い絵本が2冊、一つはタダで、もう一つは2000円で置いてあったら、あなたはどちらを選ぶだろうか?勿論人の好みによるから完全には言い切れないが、例えば、子どもに読み聞かせるための適当な本を買おうという場合、ほぼ間違いなく前者を選ぶだろう。
こうして絵本の売れないA社は市場撤退となり、市場にはN社の絵本のみが残る。つまり、一社の不当廉売によって、絵本を武器にしている企業の努力が、売り上げという形で正当に評価されなくなってしまうのである。
これに対して、A社も同じようなビジネスモデルを構築すればよいではないかと思う人もいるだろう。しかし、A社が立ち上げ間もない会社で、そこまで多角的に事業を展開することができないとしたらどうだろう。かなり不公平でないだろうか。
これが許されれば、そもそも持っている資産の大きさで市場競争の結果が見えてしまう。お金持ちは自分の商品を廉価で売って多少なりとも収益を得られるし、無料で売ろうと、そもそもこんなことをするくらいだから困りはしない。逆にお金のない人は、商品が売れず、豊かになれない。不当な廉価が格差の固定につながってしまう。
ついでに言えば、安価だとのことでN社の絵本を皆が買うようになれば、その品質低下も考えうる。手抜きで作ろうと売り上げ冊数は見込めるからである。こうなれば質の高い商品は出回らなくなり、絵本を手に入れられる人がいなくなってしまう。
以上のようなケースが様々な市場で成り立つと、世の中に財が供給されなくなり、結果色んな人が貧しくなる。お金を介してモノの売り買いをする世の中では、格差を無くすにはそもそももっと大きな格差を前提としなくてはならない。実にパラドクシカルな話である。所詮世の中金だということか。「絶望した!金ぎたない世の中に絶望した!」と絶望する先生が現れそうである。
さて、もしかしたら今、この論理の穴を見つけたと思った方もいるかも知れない。「不当廉価による非効率は、お金をやりとりの前提としているからだ!ならばそのお金自体をそもそも無くせばこんな問題は起きない!」と。
しかし私は、こういった解決策にも疑問を待たざるを得ない。本当にお金をなくしたら解決するのか?いっせーのせで貨幣制度を手放したら新たな問題が起きるのではないか?と。
ということで次回は、冒頭でも触れたように、お金でなく物々交換や信頼交換で回る社会について考えていく。