平凡学徒備忘録

Know your enemy with warm heart and cool head.

お金の奴隷解放宣言はなされるべきか?第2回 無形の返報

さて、前回の記事ではキングコング西野氏が自作の絵本を無料公開したことを受けて、正当な理由もなく商品を廉価、もしくは無料で提供することがいかなる弊害をもたらすか考えた。結論としては「不当に安い価格設定は長期的に見れば格差の固定と社会全体の貧困をもたらす」というものであった。その根拠については実際に拙ブログを参照してほしい。

 

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そして、前回の最後部分で触れたが、この結論を導いた理論には穴があると指摘する人もいるだろう。「西野氏のブログをきちんと読んでみろ、彼はお金を介さないで恩や信頼で財、サービスを回そうと言っているんだ。そもそも貨幣制度が無ければいい話じゃないか」と(もっとも、ここまで極端な反論は実際には見ていないが)。

確かに、お金というシステムにそもそも欠陥があるという考えもあるだろう。元々は人間の作り出したものなのだから完璧でないのは百も承知である。ということで今回は、彼のいうような、お金でなく、恩、信頼で商品が回る社会、言うなれば感謝社会が実現したらどうなるか考えてみる。

結論から言おう。恩、信頼で財、サービスを回すことは、一見すると心温まるが、大きな社会的損失と不公平を生む。ものが出回らなくなり、貧困が発生するためである。それに加えて、当初の温かさだって冷たい重荷となりえる。

以下、このことを論証していく。まずは、貨幣社会である現状を明らかにするために、貨幣がいかなるものなのかをはっきりさせてみよう。

経済についての各種書籍や、大学の講義では貨幣は3つの機能を持つと説明されている。その3つとは、

  • 決済機能(渡したら、引き換えに商品を得られるということ)
  • 価値尺度を表す機能(商品を入手するのにいくら必要か表せるということ)
  • 価値保蔵の機能(今自分の持っている財産を、貯めておくことができるといこと)

である。

貨幣社会では、これらの機能を果たす「貨幣」というものを媒介として商品は人から人に行き渡る。例によって絵本市場に置き換えてこの流れを記述してみる。

N社という絵本会社が絵本を1000冊作り、1つ2000円という値段をつけ(価値尺度を表す機能)、その値段で売る。人々がこれを欲したら、1000円札2枚を書店員に渡し、代わりに本を1冊手に入れる(決済機能)。喜ばしいことに合計1000人がこの行為をし、人々の間に1000冊の本が行き渡り、会社には絵本と引き換えに2百万円(1000冊×2000円)分の貨幣が残った(価値保蔵の機能)。

ただ、残念なことに2000円を持ち合わせておらずに入手できない子どもが出てきてしまった。一部は親に買ってもらったそうだ。

N社は得たお金を、絵本製作費の返済や、絵本製作に携わった人に給料として渡し、人々の間にお金がまた行き渡った。給料が手に入った社員は自由にお金を使い、同じようなことがあちこちで起き、貨幣がどんどん社会を循環していく。そして色んな人に物が行き渡る。

以上が貨幣社会での取引であり、世界中で行われていることである。

さて、次に感謝社会での取引を見ていこう。N社が絵本を1000冊作ったとして、それらを無料配布する。感謝社会では貨幣が存在しないので、絵本の入手に何も必要としない。しいて言えば「ありがとうございます」という言葉くらいであろうか。ただ、一部には自分の家で取れた野菜や、手作りのお菓子にアクセサリ、自分の書いた絵本、感謝の手紙などを持ってきた人もいた。

これを1000人の人が行った結果、1000冊の本は人々に行き渡ったが、会社にはお客がくれた品々以外何も残らなかった。N社の社員たちは、何とかそれらを分配し、自分の生活に必要な物を得るために店に行き、絵本を買った人同様、特に何も渡さずに商品を持っていく。

作られたものを自由に持っていい代わりに、自分の作ったもの、持っていたいものは何の引き換えもなしに持っていかれる。一部には恩返しということで物をくれた人がいたが、基本的にあげたらあげっぱなしである。逆にもらったらもらいっぱなしである。となると自分の所有権を主張できる根拠は何一つ無くなってしまう。このような社会で、あなたは自分から物を作ろうと思うだろうか?誰かが何かを作るのを待ち、それを狙うという考えにならないだろうか?

確かに、趣味で料理やお菓子を作ったり、栽培をしたり、自作のイラスト、漫画、小説をSNSに無料で作成、公開している人はいる。面白そうなことを真似したり、自分の感情や思想を表したいというのは人間の本能的なものかもしれない。ただ、世の中はそういったものだけで回っていくものではない。

人間が生きるのに必要なものとしてまずは衣食住が挙げられるが、特に住、建築の仕事は多大な肉体的、頭脳的体力が要る。建築をしたい人を集めるだけでも一苦労だろう。こうなると、自分から率先して建築したいという人がいない社会では、住む家が建たなくなってしまう。こうなれば人々に、積極的に価値を提供しようという動機は生まれない。「食べ物あげるから、代わりに家を建ててくれない?」と誰かが提案しない限り、つまり感謝社会から物々交換社会に移行しない限り、雨風をしのげるひとはいなくなってしまう。

以上をまとめるとこうなる。他人に与えた価値が貨幣という形で保蔵されないと、他人に価値を与える動機が人々の間でなくなり、財が生産されなくなった結果、社会は貧困に陥る。ここから言えるのは、もしあなたが人から何かを得た時、有形でその恩に報いてあげることが、相手を幸せにし、ひいては社会を発展させることにつながるということである。

以上が、貨幣をなくすことで考えられる弊害のひとつである。分量が多くなってしまうので今回はここで一段落つけ、感謝社会が孕む矛盾を次回もまた見ていく。