平凡学徒備忘録

自分が思い付いたことを忘れないために書いていきます。経済学専攻の大学生。

何故経済学で数学が必要なのか ~経済学的思考法について~

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 経済学は、文系学問の中で、もっとも数学を用いる学問であるといえよう。経済学部は一応世界史、日本史などの履修が必要な文系学部であるが、数学2Bまでを入試科目に設定している大学も少なくない。大学での経済学講義では、入門レベルならまだしも、標準レベルの授業になると微分積分は必須であり、マクロ経済学では扱う式がとても複雑になってくる。さらに、経済に関する各種データを正しく処理、分析するのにも数学的処理は不可欠となる(社会学でも統計は必須の知識である)。

 しかし、大学、もしくは高校で経済学の勉強をしていく中で、統計データを扱うならまだしも、そうでない経済学の授業で数学を使う必要があるのであろうかと疑問を持ったことはないだろうか。授業では需要供給曲線について教えられるが、道行く人に声をかけてある社会の需要曲線を描くことはできないし、第一彼らが正直に答えてくれるとも限らない。それにある商品がどのくらい欲しいかなんて状況によって変わってくる。そもそも人々の幸福度なんて数値に直して測れるものなのか?などなど、考えていくほど数学を学ぶ意義がどんどんわからなくなってくる。

 今回は、何故経済学部生が数学をやらねばならないのか、すなわち経済学における数学の役割と、そこから見えてくる数学の特徴という2点について述べていく。少し前にこんな記事も書いたので、一緒に読むと尚のこと理解できるだろう。

 

 

usamax2103.hatenadiary.com

 

「数学なんて将来使わねーよ!」という台詞は勉強にうんざりした子どもたちがよく使うが、その考えに対しての答えのひとつも明らかにできたらと思う。

 

 さて、数学が経済学の授業に初めて登場するのは、需要曲線、供給曲線について勉強するときであろう。

「例えば、パン1個の値段が100円のとき、あなたは5個欲しがるとします。パンの値段が上がるにつれて、欲しいと思う量がどんどん減っていきますよね?下がるにつれて需要量は増えていきますよね?このような価格と需要量の関係を数式に表すとこうなります。」こんな説明を1度は経済学入門で聞いたことがあると思う。

 しかし、実際どの値段でどのくらいパンが欲しいかなんて、他人には勿論自分にだって分かりっこない。それが分かったらNintendo Switchは品切れにならないはずだし、チケット転売問題は起こらないはずである。一人の需要曲線すら描けないのに、社会全体の需要曲線なんて描けるわけがない。にも関わらずこの無駄と思われる考えは毎年説かれ続けるのである。経済学者はこんな非現実的なことを真面目に考えてるのだろうか。

 安心してほしい。当の経済学者も、人々の本当の需要量を表す曲線を描き出そうなんて思ってはいない(知りたいのは山々だが)。人々の心理を数値化できる機械を使えばそれも可能かもしれないが、それが存在するのはコンピューターに管理される世界を描いたディストピア小説くらいである。

 

 では、何故こんなことをするのか。まず、考察対象の性質を明らかにするためである。少々非現実的であるが、需要曲線、供給曲線なるものの存在を仮定することで「商品価格は青天井でなく、どこかに落ち着くのだ」という取引の基本的性質を示すことができる。買う側としては商品の値段は安いほうがよいが、0円で商品が売れることはない。何故なら、0円で売ったら売り手の利益にならないからである。何を生産、提供するにもお金はかかり、0円で提供することはできない(ということは、どんなにお得そうに見えても、それが商品である限り、それを買うことで得するのは企業である。0円ケータイなんかそのいい例であるし、良さそうな投資物件を紹介して確実に喜ぶのは他ならぬ不動産屋なのである)。

 対象の性質が分かれば、何かが起こったときに、考察する対象がどのように変化するのかを知る事ができる。これこそが、数学が経済学において必要とされる理由の最たるものである。先ほどのパンの例でいえば、価格という値が上下すると、最終的に取引されるパンの量という値が増減することが分かる。

 また、数式で表現する事で、選択肢を比較することが可能になる。例えば消費額を伸ばす経済政策AとBがあったとして、それぞれの経済効果が⊿C=3×I、⊿C=2×Iで表されたとする(⊿C:消費額の伸び、I:政策にかける予算)。この場合、政策A、Bどちらを採択すべきかといえば、同じ額だけ予算を充てた時、消費の伸びが大きい方であり、今回の例ではプランAとなる(Aの方がBより50%効果的である)。またこの例では、実際どの程度消費が伸びるかを完璧に正しく予測できる必要はなく、どちらの方が効果の高い政策なのかが分かればよい。つまり、例えば「プランAに500万円の予算を割いた時、実際に1500万円の経済効果が発生するか?」が分からなくとも、「500万円の予算をどちらかに充てなければならない時、AとBのどちらがより効果的か?」が分かるだけでも、数学を使う意味は十分あると言える。このように、客観的な議論には数理モデルが大いに役立つ。

 

ここでモデルという言葉を使ったが、要するに模型のことである。けものフレンズ第5話でアメリカビーバーが家を作る際に小さな模型を作っていたが、経済学でもあのように経済の模型を組み立てることが必要なのだ。模型を組み立てれば色んな値が変化したときに経済がどう動くのかを考えることができる。その模型が物理的に存在してるのか数式で表されているかが違うだけで、やっていることはどちらも変わらない。

以上、経済学において数学が必要不可欠な理由を説明してきたが、ここから数学の性質が見えてくる。数学の最も有益な性質はその客観性にある。例えば、時給1000円を高いと感じるか低いと感じるかは人それぞれである(地方出身者と都市出身者の間では変わるだろう)。しかし、この時給は900円より高く、1100円より少ないことは誰の目にも明らかであり、このことは事実として受け入れるしかない。この性質から、何故数学が必要なのかも明らかになる。つまり、客観的な議論には数学のような客観的に判断するためのツールが必要であり、客観的な指標とそれに基づく共通認識無しに議論は成り立たない。客観的な判断にはこのようなツールを身につけておく必要がある。

 確かに実生活で複雑な計算をすることはそうそうないだろうが、数式化したものを比較することで正しい選択が可能になる。一見良さそうなプランも、数学的に比較検討してみたらそうでもなかったりする。今は意味が見いだせなくとも、間違った選択や損をしないためにも、経済学を勉強しておく必要はあるだろう。

 

以上の話は3つのポイントにまとめられる。すなわち

・数式で表現する事で、考察対象の性質が明らかになる

・数式で表現する事で、選択肢が比較可能になる

・数学には客観性があり、だからこそ客観的な議論が可能になる

本記事を読んで、あなたが数学、並びに経済学を勉強する意味を少しでも見いだせれば幸いである。