平凡学徒備忘録

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家の掃除は誰もやりたくない~公共財供給とゲーム理論~

 

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実家で家族と暮らす時、シェアハウスに住む時、決まって問題となるのが掃除や皿洗いといった家事分担の問題だ。掃除をやらないと住居は汚れていき、住んでいる皆が不効用を被る。しかし、できれば皆掃除をしたくない。まず面倒だし、それにやればやるほど良いというわけでもなく、キレイになったら終わりで、それ以上何か得られるわけでもない。多少気後れするものの、誰かが掃除してくれるなら、その人に任せたほうが自分は掃除をしないで済み、かつキレイな環境で過ごせる。だから皆そうしたい。

似たような問題を、経済学でも取り扱う。必ずしも家事であるとは限らず、ゴミ処理問題や、共有地の管理についてなど具体的なケースは様々だが、問題の構図は基本的に一緒である。「効用は得たいが、できるだけコストは払いたくない。そしてあわよくばそれが可能だ」。この状態が問題の構造である。

今回は、このような共有地の管理について、経済学的に数理モデル分析をし、解決策を考えていく。実際家事の問題は大真面目に議論するほどのものでもないかも知れないが、実際にはより大きな問題にも応用できるし、なにより経済学的なアプローチの全体像を示せると思う。

 

 

さて、経済学では、掃除のように①人数に関わらず、一人が得られる効用は変わらない、かつ、②コストを払わない人(今回の例で言えば掃除をしない人)も恩恵に与れてしまうという2つの性質を持つもののことを公共財と呼ぶ。掃除をしたキレイな部屋に3人入れようが6人入れようが、1人入れた瞬間部屋が汚くなるわけではなく、皆が気をつければキレイな部屋を使えることに変わりはない(汚れやすくはなるだろうが)。また、「掃除をしない人はキレイな家に住ませない」なんてことも、勿論不可能ではないが、実際にはなかなかやりづらいだろう。

以上の①の性質を非競合性、②を非排除性と呼び、これら2つの性質を満たすのが公共財だ。家事はこれらの性質を満たすので、公共財とみなすことができる。で、これらの性質から、公共財にはタダ乗りをする人が出てきてしまうという問題がある。つまり、皆が「自分以外の誰かが掃除し、そのキレイな部屋を使おう」と考えるようになってしまう。しかし、皆がタダ乗りを待っていてはいつまで経っても部屋が掃除されない、掃除しても不十分だといったことが起こる。まだ家事なら小さい問題だが、地域のゴミ問題や、極端な話、地球環境問題も同じ問題構造を抱えている。

 

以上のことは数学的手法を用いても確認することができる。そのために経済学では、まず人が得られる効用を数式、関数の形で表すことから始める。人が何からどれくらい満足感を得るかなんて分かるはずがないので非現実的な仮定ではあるのだが、経済分析において、正確な値を求める必要は必ずしもない。この辺のことは、詳しくはこちらに書いた。

 

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というわけで、まずは家に1さん、2さんの2人が住んでいる場合を考えよう。それぞれが得る効用をU1, U2と、掃除に割く時間をそれぞれH1, H2とおく。汚い部屋よりはキレイな部屋に住みたいので、どちらもキレイな部屋から効用を得る。しかし、それぞれ、できれば掃除はしたくないから、掃除をする時間が一単位ずつ増えるにつれ、効用は失われていく。キレイにするのは自分でなくても良く、2人の掃除時間の合計が、得られる効用を大きくする。このことを踏まえ、得られる効用をそれぞれ(H1+H2)^(1/2)とする。よって効用関数は

U1=(H1+H2)^(1/2) - H1, U2=(H1+H2)^(1/2) - H2となる。

以上を整理すると、こういうことだ。1さん、2さんが掃除に費やす時間の合計が大きくなるにつれて部屋はキレイになり、2人とも同じだけの効用を得る。しかし、掃除に費やす自分の時間が多くなるほど、自分のために時間を使えないので効用は減ってしまう。となると、最も望ましいのは相手に掃除を丸投げすることだが、相手も同じことを考えている。さて、となると、いくらタダ乗りしたくても、掃除せざるを得ない状況になるのではないか、自発的に掃除するとしたらどのくらいの時間を掃除に割くのかという疑問が発生する。

 

これを考えるのにあたって必要となるのが、限界効用という考え方だ。これは、今回の例で言えば「掃除に費やす時間が一単位増えるにつれて増える、もしくは減る効用の大きさ」である。もうちょっとだけ掃除すれば追加的に効用を得られる場合、もう少しだけ掃除をした方が合理的だ。そして、そのような合理的な人は、もうこれ以上効用は増えないというところまで、掃除に時間を費やすはずである。つまり、限界効用が0になるまで掃除に時間を費やすことになる。

ということで、掃除に費やす時間の限界効用を求めたい。で、その限界効用はそれぞれの効用関数をそれぞれの費やす時間で微分することで求められる(何故微分するのかについては、各種書籍などをあたってほしい)。

つまり、1さんは、U1をH1で微分して求めた限界効用(∂U1/∂H1)=0を満たす点まで、掃除に時間を費やす。実際に∂U1/∂H1を求めると

∂U1/∂H1=1/2・(H1+H2)^( -1/2)-1=0となる。

 

ここで注意したいのが、今回はH1の限界効用を求めたいのに、H2が何故か式に入ってしまうという点だ。これはつまり、1さんの限界効用を決定するのが、1さんの掃除時間だけでなく、2さんの掃除時間でもあるということだ。考えてもみてほしい、2さんがたくさん掃除してくれたら、自分はたくさん掃除する必要がない。逆に2さんがあまり掃除をしてくれない場合、1さんは多く掃除する必要がある。この数式は、この互いの行動が互いの行動を左右している状況を表している。となると、1さんがどれくらい掃除をするかは、2さんがどれくらい掃除をしてくれるかにもよるし、その逆もまた然りである。

このように、相互依存的な関係のことを経済学ではゲームと呼び、ゲーム内での各プレイヤー(今回で言えば1さん2さん)の行動を考える学問がゲーム理論である(先日Twitterのトレンドに「ゲーム理論」があがってたときは何事かと思った。)。

 

さて、では結局1さん、2さんはそれぞれどのくらいの時間を掃除に費やすのか。1さんの限界効用の式を変形すると、このようになる。

H1+H2=1/4

つまり、2人の掃除時間合計は1/4である。

今回は単位を定めていないため、1/4が分なのか秒なのか日なのか分からない。というかそもそもこれ自体には意味はなく、比較によって始めて意味を持つ。ということで、次に比較対象として、2人の効用の合計を最大化するのに必要な時間を求めてみよう。

2人の効用の合計は、U1+U2=(H1+H2)^(1/2) ー(H1+H2)だ。

これを、2人の掃除時間の合計、H1+H2で微分すると、

∂(H1+H2)/∂(H1+H2)=(H1+H2)^(1/2)-1=0 が導ける。これを変形すると

H1+H2=1

という式が導ける。つまり、2人の合計効用を最大化するためには、1だけの掃除時間が必要だということだ。

しかし、先ほど式で確認したように、1さん、2さんが自発的に行動した場合、2人合わせても1/4しか掃除に時間を割いてくれない。つまり、自主的な行動に任せたら、2人が満足するレベルまではキレイにはならないということだ。家のなかで、自分の部屋やリビングくらいは片付けるが、それ以外のトイレや風呂場は掃除しないような状況を考えるとよいだろう。

 

さて、以上のことから、何もルールを設けていない自発的な行動に任せると、公共財の提供は不十分になるということが分かった。勿論効用関数を正確に求めているわけではないため、もう少し結果が異なるものとなる可能性はあるが、公共財提供に積極的ではなく、むしろタダ乗りしたい個人に提供を任せる場合、自発的に十分な量供給されることは考えにくい、という結論に変わりはない。

しかし、じゃあ公共財提供を諦めるべきかというと、そうではない。実際には公共財が提供されるように、様々な制度設計がなされている。実際、親が家事を手伝わない子どもを叱るのも、無意識ではあるにせよ、ある種の制度設計だといえる(公共財の提供に協力しない場合、叱責という罰を設けることで、子どもに協力させるインセンティブを与えている)。次回は、どんな設計が考えられるのかを、また数理モデルを元に考えていく。

(追記:10/20)

今回述べたのは伝統的な経済学の大まかな理論の話だが、実際には人は感情にも左右されるので、それを考慮する必要がある。そんな感情を考慮した経済学の分野を行動経済学という。これについてはこちらに詳しく書いたので読まれたし。

 

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