平凡学徒備忘録

Know your enemy with warm heart and cool head.

経済学って無駄じゃない?~経済学概論と経済学的思考法、学問の実用性について~

文系学問は常に役に立たないと言われている。文学なぞ社会に出て役に立つのか、政治家にならないのに政治学をやるのか、などなど。私の専攻は経済学であるが、これも文系学問の一つであり(の割には数学を多用する)、「抽象的すぎる」「非現実的だ」などの批判にさらされている。しかし巷には「社会人の為の経済学入門」などといった本が溢れている。となると経済学もまんざら役立たないということもなさそうだ。

今回、経済学を2年以上勉強してきた身として経済学の全体像を見直し、その役立て方を考えてみる。既に経済学を学んでいる人も、これから学ぼうとしている人も、経済学について微塵も知らない人も、これを読めばその全体像と思考法、役立て方がつかめると思う。

 

 

まず経済学とは、勿論モノの売買の流れ、経済を対象とする学問であるが、経済をかなり抽象的、一般的な形で考えるというのが特徴である。ここが経営学との違いであり、経済学を小難しいものとしている要因である。例えば、パンの市場を考えるとして、ある企業がどのような商品開発、生産、流通、販売をしているのかを考えるのが経営学であるが、経済学は企業単位で考えるより、一つの市場でくくって考える(勿論一つの企業単位で物事を考えるのに経済学の枠組みを使うことはできる)。

それどころか、市場を扱う商品ごとに分けることもあまりしない。商品として売買されるものは全部財、サービスという言葉に一般化される(ここでは、財は物理的に存在する商品、サービスは物理的な存在を必要としない商品だと思ってもらっていい。例えば、パンは財であるが、ホテルはサービスである)。

ある商品の値段が高くなると需要量は下がり、安くなると上がるといった現象はパンであろうと車であろうとどんな商品でも当てはまる。

このように財、サービスがやり取りされる法則や、やり取りされた結果としてどのくらいの満足度が発生したかを考えていくのが経済学である。

経済学の特徴として一般的、抽象的に考えるというものを挙げたが、もう一つ、ある考え方が本当に正しいのか分析するのに数学を多用するというものがある。これが経済学をより一層敬遠されがちなものとする要因でもある。例えば、マクロ経済学という1国の経済を考える分野では、数3くらいまでの知識がないと到底ついていけない。特に現在のマクロ経済学はいくつかの期間にわたる経済活動を考えるので(これを動学的分析という)、多数の記号、変数が登場する。これらを整理しておかないと簡単なことでもついていけなくなる。金融分野ともなれば尚のこと数学的素養が必要とされる。もっとも、アイディアの核を理解するのには、数学が分からなくてもある程度大丈夫である。「どのような行動が合理的なのか?」「人々が行動した結果、社会はどうなるか?」についての基本の考え方が理解できれば、数学が苦手でも学んだ意味は十分にある。

さて、これらの特徴を兼ね備えた経済学であるが、これを知るとどう役立つのだろうか。

学問の実用性という話になるとよく理系学問が持て囃される。確かに物理学や化学があったからこそ社会は物理的に豊かになった。

ただ、理系科目も最初から何か役立つことをしようと作られたのではなく、単に物理現象を理解するために編み出された。ソクラテスが「スケベは何故禿げるのか」を真剣に考えていたそうだが、今や実学としての評価を得ている理系諸学問も最初はどう役立つか?などはあまり考えられていなかっただろう。

しかし、物理法則、化学反応の法則が明らかになるにつれ、その知識を利用することを考え付いた。理系科目の最初の方こそ、実用性は皆無に等しかっただろう。物理学の公式を全く知らない人でも、物を動かしたり、壊すことはできるからである。斜面の上をボールが転がる様子を数式で表現しても、応用のしようがない。しかし、今や物理学は実用性の最たる例みたいな評価を受けている。それは誰かが蓄積された知識を集め、それを応用する先を見つけたからである。つまり、現象を理解する科学(science)から、その理解を利用する工学(engineering)へと変化したからである。

となると、今の経済学は科学と工学のどちらであろう。まだ科学だろうというのが私の印象である。自分の限界消費性向を知らなくとも買い物はできるし、限界効用を描き出さなくともどのくらいラーメンを食べたいかは分かるからである。加えて、研究対象が感情や思考を持たない物理現象でなく、人間の行動であるので、正確に行動を予測することはなかなか難しい。これらの限界が、まだ経済学が完全な工学たり得ない要因だと思う。

ただ、それでも金融工学という分野はあるし、実際価格規制や金融緩和などの財政金融政策が立案、実行されている。また、経済学の一分野にゲーム理論というものがあるが、これマーケットデザインという分野に応用され、ある市場の流通、取引量が改善したケースもある。

ともかく、これらがどの程度の効果を挙げたのか立場によって見解の違いはあれど、役に立った実績はある。もし経済学が飛躍的に発展を遂げ、ある程度正確な予測が立てられるようになれば、もっと身近な視点で市場全体の動向を理解した上で、自分の利益を最大化するにはどうすればいいのかを考えることができるかも知れない。

以上まとめると

・財、サービスの取引がどのように行われ、結果どうなるかを考えるのが経済学

・経済学では、抽象的、一般的に市場を考える

・アイディアの検証に数学を用いる。しかし、アイディア自体の理解は、数学ができなくともある程度大丈夫

 

このような性質を挙げたが、別の記事にもっと詳しく書いたので、読んでもらいたい。

 

usamax2103.hatenadiary.com

 

usamax2103.hatenadiary.com

 

ちなみに余談ではあるが、これら発展の過程を見てみると、文系学問は実用性が無い、無駄といった言説に説得力を感じられなくなる。実用性というのはあくまで、「現在役に立つかどうか」の話であって、未来的な視点に基づいたものなどではないからである。現在の視点からだけで知識の価値を判断し、実用性、即戦力を追い求め、それに適わないものを切り捨て続けた結果、いざそれらが必要になったときに知恵を借りられなくなってしまうなんてことも起きてしまうかも知れない。人類は既に3000年近い歴史を辿ってきているので、その間に様々な人が様々な事を考えてきた。最近は歴史に目を向けたビジネス書が多く見かけられるが、過去起きたことを書き止め、整理、分析していく人がいなくなった時、一から解決策を考えならなければいけなくなるなんてことも起こりうる。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはドイツの宰相ビスマルクの言葉であるが、ここに歴史に目を向けるべき意味が解かれていると思う。何か行おうとする時、自分が失敗する必要はなく、他人の失敗を見てすべきでないことを知っておくのが賢い選択である。その賢い選択肢を残しておくためにも安易な文系不要論に賛同はできない。