平凡学徒備忘録

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貯金、ダイエット、勉強に共通するものってなんだ?~行動経済学とその応用~

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今年のノーベル経済学賞シカゴ大学のリチャード・セイラー教授に決まった。彼が受賞した理由は

「個人は完全に合理的には行動できないこと、社会的な背景を踏まえ選択すること、そして自分自身をコントロールできないことなど、人間の持つ特徴が個人の経済的な決定や市場にどのように影響を与えているかを示した」

とのことである(NHK NEWS WEBより引用
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171009/k10011172861000.html)。

この、「人は目先の利益や一時の感情にも基づいて行動する」という人の非合理性を経済学に持ち込んだのがセイラ―教授の専門である行動経済学だ。
ただ、これだけ聞くと行動経済学とは人々がどのように行動するかを分析するだけで、実社会でどのように役立つのかが分かりづらいかも知れない。経済学も人々の行動を分析する学問であり、その有用性にはいつも疑問が投げかけられてきた。なのでその延長線上にある行動経済学も大して実用性はないだろうと考える人がいるのは容易に想像できる。
今回は、行動経済学とはどんな学問であり、それがどのように応用できるかについて述べていく。

突然だがここで問題。貯金、ダイエット、勉強、禁酒や禁煙。これらに共通する特徴はなんでしょう。
色々あるとは思うが、まず言えるのは、やれば後々に自分の利益になるということ。そして、皆その達成に向けた行動をなかなか起こさないという事だ。

皆、勉強すればしないよりもお金が稼げることも、適度な飲酒、禁煙を心がければガンで死ぬリスクを軽減できることも知っている。でも、気分が落ち込んでいるので何となく勉強をしなかったり、つい誘惑に負けてしまったりする。利益を得られることを理解しているだけでは行動が伴いづらい。

加えて今挙げた項目には、皆がそれに向けて行動するのが社会全体にとって望ましく、個人に任せっぱなしにするのではなく、政策レベルで対処した方がよいという性質も共通している。
勉強して知識を得た人が増えることや、多くの家計が銀行貯金を行うことは生産量拡大につながる。実際にシンガポールは、強制的に国民に貯金を行わせることで設備投資の量を増やし、GDPを拡大させた。また、肥満対策や吸い過ぎ、飲み過ぎに努めれば社会保障費の削減につながる。国全体の利益や、そして自身の利益を考えれば、政府にとって対処をしない理由が無い。なので政府は人々の行動について分析を行い、個人に任せっきりでは解決しない問題についての対策を行ってきた。

従来の経済学は、「人は自分の効用を最大化するために常に合理的に行動する」ということを前提に置いている。その前提から経済学は各種モデルを作り、外部性、情報の非対称性などといった概念を持ち出して、市場の失敗について説明してきた。市場の失敗とは人々が自分の効用最大化の為に行動しても、全員の効用最大化が達成されない現象のことを指す。詳しくはこちらをどうぞ。
usamax2103.hatenadiary.com

そして、この従来の経済学の枠組みから、政府は市場の失敗を解消するために補助金や税金、正しい情報を伝える機関の創設などの政策で市場の失敗に対処しようとしてきた。

しかし、行動経済学は人がいつも必ずしも合理的でないことを示している。というのも、人は自分の効用だけでなく、社会的、道徳的な規範、感情などにも左右されるからだ。例えば、もし本当に人々のが自分の利益の為だけに行動しているならば、ずるやごまかしがどんどん行われるだろうと予想される。実際にそれらを行う人はゼロではないが、皆が皆ずるを行うわけではない。この本ではそれを示す実験例について紹介されている。

ずる――?とごまかしの行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ずる――?とごまかしの行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

実験者は学生寮の冷蔵庫に1ドル札を6枚おいておく。被験者である学生たちが常に合理的に動くのならば、盗みを働いたところでバレないし、バレたところでそこまで重い罰が課せられるわけではないと判断し、皆1ドル札をくすねるだろう。
しかし、実際には誰も手を付けなかった。逆に、比較の為に置いておいたコーラ缶6本は72時間以内にすべて消えた。1ドル札をくすねて近くの自販機でコーラやもっと自分の好きなものを買うことができる、すなわち自分の効用を最大化できるチャンスがあったにも関わらず、学生たちはそのより魅力的なチャンスの方をわざわざ無視したのだ。

この実験結果から伺える最も重要なことはまず、人は「結果的に何をどのくらい得られるか」だけでなく、「過程としてどのようにそれを得るか」が人々の行動を大きく左右するということだ。1ドル札とコーラ缶1本、どちらも得られる満足はどちらも同じくらいだ。むしろ1ドル札の方がより満足が高い。にも関わらず1ドル札をくすねた生徒はいなかった。道徳、社会規範などのインセンティブに反応したからだ。

ここだけ聞くとじゃあそのことが何に役立つのか、人はいつも経済合理的に動くわけではないということは、今までの経済学は出鱈目じゃないか、やはり意味がないのだと思うかも知れない。

しかし、これらの事実から私が言いたいことは、人の行動を望ましい方向に変えるようなキチンと機能する政策を作るには、感情についても考慮しなければならないということだ。

例えば、人々がより自発的に教育を受けたくなるような政策を考える場合についてだ。子どもたちによりい多くの教育を受けてもらうにはどうすればよいのだろうか?従来の経済学では「補助金を与えましょう」と答えるだけで終わりだった。
しかし、先ほどの実験から得られる示唆を考慮すれば、補助金の与え方についても考えねばならないという事になる。つまり、補助金を一度に全額与えるのか、それとも小分けにして複数回に渡って与えるのか。授業に出席したらお金を与えるのか、それとも予め与えておいて、授業に出席しない場合にはそれを取り上げるのか。こういった視点について考慮して政策を考えねばならない事になる。
そして、そんな考えに基づいて設計され、実際に成功を収めた教育プログラムがある。

その問題、経済学で解決できます。

その問題、経済学で解決できます。

本ブログで度々取り上げているこの本の中でそのプログラムは紹介されているが、筆者が強く説くのは、「インセンティブの設計の仕方で、人々の反応は大きく異なり、その見極めが大事だ」ということだ。この本を読めば「人々はどのようなインセンティブに反応するのか」という視点は必要不可欠になることが分かると思う。

従来のミクロ経済学マクロ経済学では、経済主体を合理的な人というシンプルな形で捉え、その仮定からどうすれば効果的な政策が打てるかを、大まかに考えてきた。外部性があるなら補助金を出しましょう、情報の非対称性があるなら正しい情報を発信する義務を与えましょう、という具合に。
しかし実際にはそこまで人間は単純でなく、合理的に動くこともあれば、感情で動かされることもある。だから補助金の出し方や義務付けの仕方が人々の行動には重要になってくる。この従来の経済学では捉えきれなかった、理論と実際の細かなズレを補うのが行動経済学の役割と言えるだろう。

リチャードは「ナッジ」という概念を提唱し、これが政策に応用できるだろうと期待されている。
ナッジとは、「肘で人をつつく」という言葉で、行動経済学では「人にある行動を仕向ける仕掛け」の意味になる。今後行われる政策には、経済学の基本に則った方針だけでなく、実際に人に行動を促す、「ナッジ」となる部分についても議論される必要があるだろう。

そして、そのナッジを考えるには人の心理的な側面について明らかにする必要があり、その解明のためには実証的な実験とその分析データが不可欠となる。様々な規模の経済実験が今後活発になっていくことが望まれる。