何故自販機とセブンでコーヒーの値段が違うのか?~価格競争と一律価格~
先日、品川駅で電車待ちをしていたときのことである。
その日は雨の影響で電車が遅延しており、フォームに着いてから少し時間があった。その間手持ち無沙汰で過ごすのも何となく気が引け、不意に缶ボトルコーヒーが飲みたくなったので、自販機に向かった。
その時気づいたのだが、自販機で売られているコーヒーの値段は、駅以外の場所で見かける自販機のよりも高く設定されている。理由は簡単だ。高く値段をつけても売れるからだ。電車待ちをしている間にコーヒーが飲みたくなった場合、外のほうが安いからとわざわざ一旦改札を出て買いにいく人はあまりいない。つまり、実際には地理的条件があるからこそ、強気な価格設定ができるということである。
レゴランドで食べ物、飲み物がかなり高く売られていたのも、外部から持ち込み禁止にしており、喉が渇いた場合、ランド内で買わざるを得ない状況にしていたからである。映画館でコーラが500円で売っているのも同じ理由である。外のコンビニの方が安いからと、チケット買ったあとに外で飲み物を買う人はあまりいない。
ただ、駅のコーヒーの価格が不思議なのは、全く同じ商品であるにも関わらず、構内に設けられた近くのセブンイレブンと価格が異なっているということにある。
続きを読む家の掃除は誰もやりたくない~公共財供給とゲーム理論~
実家で家族と暮らす時、シェアハウスに住む時、決まって問題となるのが掃除や皿洗いといった家事分担の問題だ。掃除をやらないと住居は汚れていき、住んでいる皆が不効用を被る。しかし、できれば皆掃除をしたくない。まず面倒だし、それにやればやるほど良いというわけでもなく、キレイになったら終わりで、それ以上何か得られるわけでもない。多少気後れするものの、誰かが掃除してくれるなら、その人に任せたほうが自分は掃除をしないで済み、かつキレイな環境で過ごせる。だから皆そうしたい。
似たような問題を、経済学でも取り扱う。必ずしも家事であるとは限らず、ゴミ処理問題や、共有地の管理についてなど具体的なケースは様々だが、問題の構図は基本的に一緒である。「効用は得たいが、できるだけコストは払いたくない。そしてあわよくばそれが可能だ」。この状態が問題の構造である。
今回は、このような共有地の管理について、経済学的に数理モデル分析をし、解決策を考えていく。実際家事の問題は大真面目に議論するほどのものでもないかも知れないが、実際にはより大きな問題にも応用できるし、なにより経済学的なアプローチの全体像を示せると思う。
続きを読む経済学は何をしているのか?
大学で経済学をやってきて思うが、経済学は面白い。しかし残念なことに、経済学の授業は大抵つまらない。授業がつまらないから経済学はつまらないだろうと考え、なかなか興味が持てない。
人が初めて経済学に触れるのは中学の公民だろう。そして高校では現社や政経の授業で経済学を学ぶ。そして、大学に進んだら経済学入門とかの名前を冠した授業が開かれている。
で、そこで何を学ぶかというと、経済学の代名詞とも言える需要、供給曲線である。曲線とか言いながら先生は直線を引き、その交差点で商品価格と取引量が決まるのだという。
でもこんな図を見せられても、実感が湧かない。世の中がこんな単純だとは思えないし、そもそもこれが分かったからなんだというのだ。実に経済学はつまらなさそうだ。
続きを読む